ごあいさつ

R.M.O-サービス
 代表 山川 克則
2000年8月


 
 
 この成績表の作成がまたしても大変遅くなりました。今度は1ヶ月以内に出すと意気込んで、大会直後の月曜夜まで現地に滞在して後片付けと並行しながらある程度のところまで仕上げて帰り、優勝クラブには早々に原稿依頼をしていたのですが、このような状態になってしまいました。楽しみに待っている方も多いことは判っていながら、本当に申し訳なく思っております。

 言い訳は無用なのですが、ここ数年来ひきづっていた体調不良が自身の腎臓疾患(子供の頃の高熱が原因とされ腎臓内の細胞が長い期間に少しずつ機能停止していく)が原因と知ったのが2年前の正月。常磐インカレの調査を明日に控えながら、あまりの体調不良で深夜急患で大学病院に駆け込んだ時です。30代の無茶の生活と、勤め人みたいに定期検診を受けてこなかったこともあり、進行が早くまた発見も遅く、殆どダメになって人工透析を導入するのがあと2年くらいかなあ、といわれました。同時に即緊急入院を云われましたが、国際スキーO等行事を沢山かかえていたこともあって無理言って外来で入院して処方するのと同じことをやっていただき、大幅な減量を達成。常磐インカレは羽鳥君ほか友人・後輩に助けていただきました。

 その春は少し持ち直し山口インカレの舞台である秋吉台の調査も元気にこなしていたんですが病状は徐々に悪化し、昨年夏はトータスとの世界選手権チャリティ大会後暑い夏に殆ど動けなくなり、菅平での準備でも木村君や元木君が気の毒がるほど斜面が全く登れない状態となっておりました。そして、宣告通り、2年弱で日光でのインカレショートの時はすでに尿毒症でからだじゅう水ぶくれ状態、その後も某所で少し調査していたのですが、関東インカレ団体戦を前にして生命が危険な状態となり緊急入院、即、人工透析導入となりました。抱えていた仕事の関東インカレや日光インカレの調査は海外のプロマッパーも含めて、また皆に助けてもらうことになりました。その節はありがとうございました。入院は2ヶ月に及んだのですが、未だにその後をひきずっていまして、常に仕事残が山積みの状態、入院後期にはかなり体調も回復し臨時外出で(ヘルプに入った海外プロマッパーと渡りあう会話をしなければならいこともあり)日光の調査に行ったりもして、退院後も睡眠はちゃんと取っていますが、全く休むことなく今日まできています。まだ年賀の挨拶はおろか各方面への病気の挨拶もしていない状態で、この文章が自身のことをちゃんと書く最初の機会かもしれません。(私事に紙面を割いて申し訳ありません)

 こんな中、なかなか目前の仕事に追われて、この成績表作成のプライオリティを上げることが出来ませんでした。今年のプログラムを作成する段になってリミットとなりこうして発行している訳ですが、これではいけませんね。今度こそは早く発行し、皆さんのお手元に次の糧となるべくお届けしたいと思います。どうか暖かい目でご支援お願い致します。
 
 病状の方は、現在週に3回、毎回4時間強を割き人工透析を行う「第1級身体障害者」ではありますが、概ね体調も良く治療以外の時間は元気に仕事(=趣味)に邁進しております。走ったりすることは出来ませんが、ゆっくり斜面を登ることは問題なく出来、調査もガンガンしております(別項の宣伝参照)。この大会も一生の意義高い仕事と捉えておりますので、ずっと続けていきたいと思います。今後も宜しくお願い致します。毎日着実に働いておりますので、山積みの程度も徐々にではありますが解消の方向に向かってあります。



 


クラブカップを終えて
 さて。前置きが長くなってしまいました。優勝した多摩OL(クラブカップ)、サンスーシ(ベテランクラブカップ)の皆さん、おめでとうございます。多摩OLは5年ぶり3回目の優勝でした。今回からクラブカップは7人(しかも制限選手は3人)、ベテランクラブカップは4人構成となり、メンバー確保に四苦八苦したところもあるかと聞いております。新ルールでの最初の優勝ということになります。

 昔の成績表に書いたことですが、この大会は当時クラブの力として多摩OLが突出していて、日本のOL界をもっと活性化するためには、打倒多摩を掲げてクラブ作りをして行く為の舞台を用意しよう、と思って始めたことです(他にも動機はありますが・・)。そして、私の意図通りに、多摩OLに立ち向かっていった数多くのクラブを第1回、第2回と最初出遅れながらも最後は力でねじ伏せ連覇で王者の力を見せつけてくれました。多摩を打ち破ることはそう簡単ではないことを見せつけ、さらに各クラブは強化に励まなければならなかったのでした。その後の展開は皆さん良くご存知かと思います。そして今年、かつての王者多摩は戦前の某所の予想記事で全く取り上げられず、実は3人の制限選手を有効に配置できるほど人材に事欠かず、ひそかに闘志を燃えたぎらせていたのでした。しかし、優勝記事にありますように、どこよりも入念に準備し、ルールを研究し対策を練ってきたようです。その姿は、かつての王者の貫禄というよりは、まさに挑戦者のものでした。そして、クラブ内だけでなく、他のクラブにも多くの感動と動機付けを与えてくれました。また、出場した中で唯一4チーム完走(3チームはリスタートにかからず)ということで層の厚さでも、クラブ全体の取り組みでも、前々回の京葉、前回のOLP兵庫を凌ぐものがあり、それを結果として示してくれました(前回成績表で触れたとおり、7人リレールールでの層の厚さ「認定新記録」です。これを破る5チーム完走記録を打ち立てるクラブが出現することを期待します)。この多摩の優勝により、益々この大会は盛り上がっていくものと確信します。良いレースをありがとうございました。

 ベテランのサンスーシは2年ぶり2回目の優勝でした。昨年も実際は圧倒的なトップゴールで実は3連覇となるほど、このクラスではここのところ力が突出しているのですが、ペナに泣いたのでした。今年はその雪辱を果たし、記印を確実に行ってきました。安定した4人ものベテランランナーを揃えるのは容易ではないかもしれませんが、サンスーシを打ち破るほどのクラブが出現することを願いたいものです。

 また、地域でのライバルクラブ同士の熱い戦いもこの大会に参加する大きな動機付けとなっていて、また私の方も大勢の参加者を迎えてこのような運営負担の大きい大会を毎年行っていく大きな動機付けとなっているのですが、こちらの方も大いに盛りあがっていたようです。入賞目標、1桁順位目標、継走による完走目標、クラブそれぞれに色々な目標があったでしょうがいかがだったでしょうか。目標達成したクラブ、次回に雪辱を期すクラブ、それぞれの姿があると思います。

 さて、今年はどう云うレースになるのでしょうか? もうその舞台はそこまで来ています。なつかしい顔を含めて皆さんにお会いすることを楽しみにしております。



 

第22回長野県大会を終えて
 長野県大会の方も少しコメントしておきたいと思います。

 この大会は、菅平地区でまだ大会経験の無い、オオマツ・つばくろ地区での開催となりました。そもそもこの大会を菅平で開くことになったのは、PCマップの更新が迫られていてそれならと大規模大会であるクラブカップの誘致を熱心に地元の方にしていただいたのがきっかけで、滞在型の複数日大会大会ということになり、それなら菅平を広く知っていただくために(大きなマップを作成することもあり)この地区でやって欲しい、ということになりました。

 また、最近各地の大会で導入されている電子的記印方式であるe-cardを使うことにいたしました。その理由は2点あり、一つは運営の省力化、もう一つは次回のクラブカップでe-cardを導入するためにより多くの方に体験する機会をもっていただきたい、ということでした。

 そもそも、クラブカップの併設程度の考えで準備していましたが、予想を大幅に上回る参加をいただき嬉しい悲鳴をあげての運営でした。そのため、M21Aクラスの参加者は270名を越え、時間ブロック制のスタートになり、e-cardを3回も使いまわすことになりました。運営慣れしていないことと、使いまわしによる処理の煩雑さで、こちらも確定成績を出すのに困難がありました。掲載したラップ込みの成績は壮観であります。テレインもこんなに多くの参加者に楽しんでいただくほど広くなく、わずか4コースとなりました。窮屈な思いをした方もあったかと思いますがご容赦いただきたいと思います。

 その後、この地区では北信越地区のインカレセレクションなども行われ、また本年はいくつかのクラブが夏合宿を行っています。菅平全体にオリエンテーリングが根付てきてうれしく思うと同時に、今後も皆さんの菅平高原でのオリエンテーリング活動をしていただくよう地元の方に成り代わって宜しくお願い申しあげます。


キッズOについて
 こちらも2日間大好評でした。その後の大会でキッズOを開催するところが増えてきたのは、主催者としてとても嬉しく思います。風でシールが飛んでしまって無くなってしまったコントロールもあったようで申し訳ありませんでした。今後も改善を重ね継続して大会に併設していきたいと思います。