我々は日本一である

クラブカップ優勝監督のつれづれ

(菅原琢 多摩OL監督)

我々は日本一である
 多摩OL−Aチームは見事、5年ぶりに優勝カップを奪還しました。皆さんの御協力に感謝いたします。特に主催者と、最後まで我々を苦しめた京葉OLクラブには最大限の讃辞を送らせていただきたいと思います。
 1走で好位置につけたAチームは2走で2位、3走で首位に立った後はゴールまで首位を走り続けました。(4走からは宿敵・京葉OLクラブと見応えのあるマッチレースとなりました)5年ぶりに一番高いところに上り詰め、感慨もひとしおです。
 我々には勝つチャンスがあった、そしてそれをしっかりとモノにした、ということです。(勝つチャンスのあったクラブは決して少なくないのです)

 CC7、優勝できて本当に良かった。もちろん、1回目の優勝も、2回目の優勝も嬉しかったことは間違いない……絶対に優勝できないだろうという状況に追いつめられてからの優勝だったから。当時はタレント揃いだったなぁ。この6年で世代交代が進んでいることを実感します。3度の優勝すべてに関わったのは私とヨルクだけです。(もっとも、外に目を向ければ私が高校生で競技OLを始めたときにはすでに村越時代が始まっていて、そしてそれは今も続いているわけです。)既にヨルクは制限選手ですし、そして来年はいよいよ私自身がシニア制限選手に昇格?です。
 決して「勝ち組」ではない私が、初めて涙を流して喜べたのは91年9月の第0回の全日本リレー(全国対抗リレー:石川県金沢市)でした。利光/富田/藤平/菅原と多摩OL勢で固めた東京チームのアンカーとして10位で出走して激走、銅メダルにたどり着いたときでした。このとき、インカレ・コンプレックスを払拭できたように思います。(個人戦は4回Eを走って1回も40位に入れず、リレーは個人加盟で選手権に出られず。おまけにユニバー代表も逃した)......そして翌年から全日本リレーと名前を変えた大会はまもなく第8回大会を迎えます。(今年は兵庫県。これはこれで、がんばりましょう!、関係者の皆さん)

 それから2年、93年9月に初めてのクラブカップ6人リレーが八ケ岳・泉郷で開かれました。リレーといえば3〜4人という従来の常識を覆し、クラブ単位で6人もの選手が走るこの大会は衝撃的でした。本場スウェーデンのクラブ対抗10人リレー(ティオミラ)のように社会人が燃えられる舞台が提供されたことはまことに画期的なことだったわけです。
 今ほどは大規模ではありませんでしたが、素晴らしい大会でした。この大会では1走で41位と出遅れたものの着実に追い上げ、我々が優勝(利光・加藤昭・田中・鈴木規・菅原・ヨルク)することができました。
 翌94年9月、岐阜の根ノ上高原で宿敵京葉に連勝。(ただしオープンのユニバー組に敗れた)。このときのメンバーは藤平・高橋厚・菅原・鈴木規・ヨルク・富田。しかし翌95年、京葉に雪辱される。「渋谷で走る会」(今回と違って、エリートで固めた「クラブ」だった)にも敗れました。以後、表彰台の一番高い所に立つことはなく、一昨年・昨年は表彰台どころか入賞すら逃すありさま……

 RMOの山川さんは今回の勝ち方を評して、「以前の多摩は横綱的な優勝、今回の優勝は挑戦者的な優勝」と言いました。クラブ内にも賛否ありましょうが(というか、うっとうしく感じた人もいるでしょう)、手間暇かけて準備してきたつもりです。なぜなら、あおがなくても自然と燃え上がるなら燃えるに任せておけばよいのですが、活性化してきたとはいえ、今はまだ自然発火するほどは煮詰まってはいないと判断したからです。
 春から扇(あお)いで煽(あお)った甲斐があって、Aチームに限らずいつになくテンションの高い集団となって菅平高原に乗り込めたのが何よりの勝因だったと思います。(レースは準備段階からの総決算ですが、そこに至るプロセスも非常に大切なのです。)当日、さらに盛り上がるにはどうしよう……。自分の走っているとき以外も大いに楽しみ盛り上がるには、応援自体を楽しんじゃうのが近道。そう思って「鳴りもの」も用意しました。ラッパやカウベル、タンバリン……(来年はサンバ・ホイッスルも用意するぞ!)

 今回、多摩OLは7人リレーに4チームエントリーしていました。7×4=28人。これだけの人数ですから、直前になって参加できない人が出たりして、チームの成立には結構気を使いました。その中でもこの二人、Mr.ローチとヨルクの到着には気をもみました。彼らは出張で香港(たまたま目的地が一緒だっただけです)に出かけていました。ローチは土曜午後に成田に到着して、その足で長野新幹線→終バスで宿舎に到着しました。ヨルクの場合はさらに壮絶で、帰国便の予約がギリギリまで取れず、ようやくとれた飛行機は、大地震直後の台北経由。本当に飛行機は飛ぶのか気が気ではありませんでした。それでも無事、土曜の21時過ぎに羽田に到着したのでした。そうとう疲れていたはずの彼は日曜の朝、高速をひた走ってスタート時刻の前に会場に現れたのでした。

 今回、燃えている選手は多かったです。口先だけでなく心底燃えていたんだと思います。優勝争いの下馬評にもあがらないことは屈辱でした。最近の低迷には我々自身がショックを受けていました。それらを払拭するために優勝はMUSTでした。
 監督がしたことと言えば、情報収集とその提供。それに会報への技術講座掲載、合宿での基礎練習メニューの設定くらいでしょうか。
 「勝つためには何でもする」……今まで、出走後のチーム組み替えは頑なに否定してきましたが、今回はそのルールを活用することも申し合わせました。快走しても失格しては元も子もないので、地図とコントロールカードとゼッケンの番号確認を怠るな、コントロールに着いたらまずナンバーを確実に確認しろ、とくどいくらいに念押ししました。おかげで、失格者はなく、大きなミスをした選手もほとんどいませんでした。
 今回の勝者は誰でしょう。Aチームの7名、もちろん勝者です。誰一人としてペナ・棄権のなかったB・C・Dチームのメンバー、彼らもまた勝者です。応援専従だった奥さん連合、お子さま連合、祝勝会に参加してくれた皆、彼らまで含めて皆が勝者。そう、クラブカップを制したのは「多摩オリエンテーリングクラブ」、我々なのです。

 いまや、クラブカップは最高のモチベーションを競技者に与えてくれる大会に育ちました。学生にはインカレという素晴らしい舞台があります。しかし卒業後もこんなに熱くなれる舞台が急速に育ってきたと言うことは何とも素晴らしいことではありませんか! 主催者の熱意には頭が下がります。
 勝った上で言わせてもらえば、クラブカップにはぜひ、「クラブ」のメンバーとして参加して欲しいと思います。卒業後に活動の拠点となるのはやはり地域クラブであると思うのです。土台がぐらついていたら日本のオリエンテーリングは立ちゆかなくなります。オープン参加のチームではなく、正規扱いになる「クラブ」のチームの一員として舞台に上がって下さい。クラブの定義は難しく、いろいろな意見があるでしょうが、やはり地域クラブなり、大学クラブなり、が中心となるのが自然でしょう。勝つために臨時で編成したチームは私は邪道だと思います。レギュレーションにメンバー構成だけ合わせればよいと言うものではないと思います。ひょっとしたら、「(本来の)所属クラブは弱くてつまらない」と考えている人がいるかも知れません。そう思うなら、あなたが仲間を誘い、クラブを立て直してはいかがでしょうか? 表彰台の上で優勝カップに満たしたシャンパンを味わえば、どんな苦労もとんでいってしまうと思います。
 「正規チーム宣言」は参加者の自主性に委ねられています。来年はより多くの「クラブ」と競い合いたいと思います。今年、多摩OLは挑戦者の立場から追われる立場になりました。しっかり準備し、来年も美酒に酔えるようがんばっていきたいと思います。
永遠のライバル?京葉をはじめ、兵庫、白樺、横浜、サン・スーシ、ROC、三河、ルーパーほかのクラブチームの皆さん、来年も正々堂々火花を散らしながら熱い戦いを演じようではありませんか。
このイベントがますます盛んになり、日本オリエンテーリング界躍進の原動力になることを心より祈念いたします。

 最後にPRを少しさせて下さい。多摩OLでは新入会員を随時募集しています。「クラブカップで優勝するため」に入会したメンバーもいます。地図作りがしたくて入会した人もいます。駅伝やマラニックなども楽しみますし、いろいろなことにチャレンジできるクラブだと思います。あなたも仲間になりませんか?(特に、学生および卒業後間もない方には各種特典が用意されています)
 2000年1月23日には第17回ジュニアチャンピオン大会を開催いたします。100名ちょっとの参加者だったJC大会も、ジュニア選手、初心者の応援という趣旨をご理解いただき、年々規模が大きくなり会員一同嬉しい悲鳴を上げております。初心者が親しみやすいよう、できるだけ敷居を低くしてお待ちしています。ぜひオリエンティアはもちろん、「オリエンティアにしてしまいたい人」をお誘いの上、お越し下さい。東京都青梅市、ニューマップを用意して皆様のお越しをお待ち申し上げます。(〆切12/20、遅れ1/10)
 2000年11月26日にはクラブ創立30周年記念大会を公認大会(予定)として東京都内で開催いたします。こちらもあわせて宜しくお願いいたします。
公式ホームページ http://www.orienteering.com/~tama
メールアドレス  tama@orienteering.com
(編者注:この原稿は昨年10月に執筆していただいたものです)
(文中クラブ名は敬称略とさせていただきました)