今回、日本チームは宿泊は主催者の斡旋してくれるものを利用することにした。したがって、行ってみるまでどこに泊まらされるのか分からない。大会エントリーの日に、右も左も分からぬまま会場に集まった僕らは、宿の場所を尋ねてみた。すると、「ちょっと遠い」との答え。そして、連れて行かれたところは、フォンテーヌブローの隣町のメロン(MELUN)、80kmオーバーですっ飛ばす車で30分はかかるちょっとどころではなく遠いところだった。
連れて行かれたホテルはPremier Classという名前だった、なかなかよさそうな名前だ。しかし実態は、モーテルというのだろうか、部屋のドアが外に直結している日本ではあまり見かけないタイプのところだ。アメリカ映画なんかで、逃走中の主人公が郊外でよく利用し、お決まりパターンとして夜中に敵の襲撃を受ける、アレである。部屋の中は土足で、ベッドがどっかりと2つ置かれ、それで部屋のスペースのほとんどは占められている。高いところにベッドがもう一つあり、奥にはシャワーとトイレ、それだけだった。そして外に出てみると、周りにあるのは麦畑のみ。宿周辺で観光とという僕らの予定はあっさりと崩れ去った。ちなみに、一つも星はついていなかった。
もともと外国人が使うことなどあまりないのだろう。宿のおばちゃんは英語はまったく分からない様子。しかもその状態で、なぜか2度も部屋のキーが開かなくなり締め出されるという目に遭い、トラブル解決に四苦八苦した。
日本の感覚ではとにかく不便な宿で(洗濯機すら使えない)、最初はこんなところで暮らせるのか、と思ったが住めば都とはよく言ったもの、帰るころには充分くつろげる場所となっていた。なかなかの適応力だ。
移動も主催者にお任せにしていたが、日本チームの世話をしてくれたのは地元のボランティアのドゥニスと、エリック。すぐにどこかにいなくなったり、時間に遅れたり、指定の場所に現れなかったり、しまいにはフランスの食事は食えねえと言いだすわがままな日本チームをよく世話してくれた。(時々怒ってたみたいだ。ごめんね…)お互い片言の英語でコミュニケーションをしていたが、けっこう仲良くなることができ、城の観光に連れて行ってもらったり、、パーティでのダンスの指南を受けたりもした。
朝食はホテルでバイキング(といっても、パンとミルクとシリアルと飲みものくらいしかなかったが。)、昼食は主催者の用意する弁当、夕食は大会スポンサーとなっているカジノ・カフェテリアというところで取るのが決まりのコースだった。しかしフランス料理、いいところで食べればおいしいらしいのだが、カフェテリア程度のところで食べるものは、味付けも調理もいまいち僕らの舌には合わなかった。カフェテリアの食事でも、普通に取ると10ユーロは軽く超えてしまい(ただし、大会スポンサーなので7ユーロまでは無料)、それほど安いわけではない。
そういうわけで、フランスで食べたもので一番おいしかったのは、最終日の前日にカジノカフェテリアを脱出して食べた中華料理だった。
フランス料理の名誉のために付け加えると、パンと、チーズと、ハムと、ワインはどこに行ってもおいしかった。特にワインは、3ユーロ程度の激安物でも充分おいしい。ワイン好きにはいいところだろう。
これも日本の感覚を持ち込むのは危険なようだ。身の危険などに会うことはなかったが、スキだらけの日本チームは見事に盗難の洗礼を受けた。
まず、モデルイベントの夜、会場の日本チームのテントにバイクのパーツや小物を置いて宿に帰ってしまった。そして翌朝会場に着てみると、いろいろと物がなくなっている!まず、大北選手が置いていったヘルメットがなくなっていた。そして、内山選手が用意してきた予備のチェーンとスポンサーのロゴステッカー(何に使う気だ?)もなくなっていた。置いていったといっても、丸見えにして行ったのではなく、箱の中に入れていたのに、である。
そして極めつけは、ロングディスタンスの予選の日、レースを終えた僕が荷物の上にちょっとサングラスを置いておいて、トイレに行って帰ってきたらなくなっていたこと。荷物のところにはだいたい人がいるようにしていたのだが、どうしても目を離してしまうときがある。そのときを狙われたようだ。当然周りにはけっこう人目はあり、犯人はなかなか大胆だ。
どうも日本チームは狙われていたような気がする。それ以降、さすがにちょっとした時間でも荷物から人がいなくなることはないようにした。
フランスでは真昼間から街中でいちゃつくカップルが多いが、きっと夜まで待っていたらキリがないからだろうというのがもっぱらの意見だ。
日本という国は細かいところまで気が使われていて、暮らしやすい国だな、ということを改めて実感した。今回は、外国人や旅行者向けではなく、基本的に地元の一般人のための施設を使うことが多かったので、それがよくわかったのかもしれない。もちろん長年の馴れによる影響は大きいと思うが、生活の道具などで、「これは便利」とか、「日本に持って帰りたい」と思うようなものはほとんどなかった。
例えばシャワー。寒かったロングディスタンスの予選を終えて、温水シャワーがあるというので浴びに行ったら、ぬる〜い湯がぷしゅーっと「おまえは霧吹きか!」というような勢いで吹き出すのみ。
例えばトイレ。メイン会場のトイレはいわゆる和式に相当するようなしゃがむタイプなのだが、一見してどっち向きに座ればいいのかよくわからないのである。しかも、終わって水を流すと、とんでもない勢いで水が流れ、あたり一面の床を水浸しにするというわけの分からない代物であった。