新時代の、新世代との世界選手権 (松澤俊行)
6月30日(金)から7月7日(土)にTartu(タルトゥ)を中心とするエストニア南部地域で開催された世界オリエンテーリング選手権大会に行って参りました。私はスプリント(予選・決勝)、スプリントリレー、ロング、ミドル、リレーの5種目行われた内のスプリントリレーに出場しました。
スプリントリレーは2014年から始まった新しい種目です。自身5年ぶりの代表入りでしたので、世界選手権でスプリントリレーを体感するのは初めてのことでした。アジア選手権でも2014年からスプリントリレーが行われていますが、観戦はしていても出場はしていません。アジア選手権であればスプリントリレーで上位争いをする自信はあるとはいえ、同じような実力、同じような自信を備えているのであれば若い選手が選ばれるのも当然と言えば当然です。世界選手権であれば尚更で、出場機会はないだろうと思っていた(今回はスプリント個人戦に出るものと考えて準備していた)のですが、他の選手の優先種目との兼ね合い等、様々な巡り合わせがあり、44歳にして「奇跡の(?)国際大会スプリントリレーデビュー」と相成りました。
日本チームのメンバーは、小野澤清楓‐上島浩平‐松澤俊行‐勝山佳恵の4選手(この順番が走順)。午後5時のスタートというスケジュールを利して、午前中に入念な対策ミーティングを行い、昼食も宿舎で取ってから車で60分の競技会場へ向かいました。
スプリントリレーでは、走順ごとに隔離が行われます。第1走者が走る時間帯の半分が過ぎた辺りで、第2走者はチェンジオーバー待機ゾーンへ、第3走者は次々走者待機ゾーンにそれぞれ移動し、そこから出られなくなります。(この時、第4走者は更衣所やウォーミングアップエリアが設けられたいわゆる「待機所」にいます。)以下、同様の流れで競技者の移動・隔離が行われます。つまり、スタート時刻以降は、3走と4走が僅かな時間一緒にいられるだけで、チームメイトとの接触の可能性は絶たれます。
今回のコースでは、次々走者待機ゾーンから前半最後のコントロールを通過する選手の様子は見えましたが、チェンジオーバーの様子は見えませんでした。第2走者が前半を終了したタイミングでチェンジオーバー待機ゾーンへ移ると、そこは観覧席に囲まれたイベントスペース。ステージ上にテレイン内の様子を映し出すスクリーンが、ステージ前に中間誘導が、観客席の間に最終誘導が設営されていました。中間誘導と最終誘導に挟まれた場所で前走者を待つことになります。
ここまで読んでお気付きの方も多いと思われますが、これは僅差の競争を前提としながら、最大限競技性と公平性を確保しようとしたシステムです。「周回遅れ」が発生した場合は、本来レースが終わるまでは接触をするはずではなかった次走者と一緒に前走者(「次走者」から見ると「前々走者」)を待つ、という状況も起こってしまいます。今年の日本チームは残念ながらこの状況に該当し、勝山選手の目の前で2走から3走へのタッチが行われることとなりました。
もちろんそんな可能性も「ある」のがリレー、気落ちなどせずテレイン内では全力を尽くしました。しかし目標としていた「5年前のスプリント予選(個人戦)でのトップ比(114%)」からは遠く、トップから4割増の時間を掛けてしまい、勝山選手を繰り上げスタートさせる結果となりました。
メンバーそれぞれが悔しい思いを抱えながら、帰路へ。4選手とも後半のフォレスト3種目への出場予定はほとんどありませんでした(出場予定選手の故障などによる出場可能性が僅かにありましたが)。そのため、この日以降の数日間は、併設大会への出場やモデルテレインでの練習を共にすることが多くなりました。その数日間、現地の良好な環境下の練習で得た経験と、お互いに与え合った刺激は、特に若い3選手のパフォーマンスをより高いレベルへと引き上げるはずです。私も「若い選手を目標に、足りない力を付ける」という気持ちを持って負けずに取り組みたいと考えています。
最後になりましたが、応援してくださった皆様に深く感謝し、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
スプリントリレーは2014年から始まった新しい種目です。自身5年ぶりの代表入りでしたので、世界選手権でスプリントリレーを体感するのは初めてのことでした。アジア選手権でも2014年からスプリントリレーが行われていますが、観戦はしていても出場はしていません。アジア選手権であればスプリントリレーで上位争いをする自信はあるとはいえ、同じような実力、同じような自信を備えているのであれば若い選手が選ばれるのも当然と言えば当然です。世界選手権であれば尚更で、出場機会はないだろうと思っていた(今回はスプリント個人戦に出るものと考えて準備していた)のですが、他の選手の優先種目との兼ね合い等、様々な巡り合わせがあり、44歳にして「奇跡の(?)国際大会スプリントリレーデビュー」と相成りました。
日本チームのメンバーは、小野澤清楓‐上島浩平‐松澤俊行‐勝山佳恵の4選手(この順番が走順)。午後5時のスタートというスケジュールを利して、午前中に入念な対策ミーティングを行い、昼食も宿舎で取ってから車で60分の競技会場へ向かいました。
スプリントリレーでは、走順ごとに隔離が行われます。第1走者が走る時間帯の半分が過ぎた辺りで、第2走者はチェンジオーバー待機ゾーンへ、第3走者は次々走者待機ゾーンにそれぞれ移動し、そこから出られなくなります。(この時、第4走者は更衣所やウォーミングアップエリアが設けられたいわゆる「待機所」にいます。)以下、同様の流れで競技者の移動・隔離が行われます。つまり、スタート時刻以降は、3走と4走が僅かな時間一緒にいられるだけで、チームメイトとの接触の可能性は絶たれます。
今回のコースでは、次々走者待機ゾーンから前半最後のコントロールを通過する選手の様子は見えましたが、チェンジオーバーの様子は見えませんでした。第2走者が前半を終了したタイミングでチェンジオーバー待機ゾーンへ移ると、そこは観覧席に囲まれたイベントスペース。ステージ上にテレイン内の様子を映し出すスクリーンが、ステージ前に中間誘導が、観客席の間に最終誘導が設営されていました。中間誘導と最終誘導に挟まれた場所で前走者を待つことになります。
ここまで読んでお気付きの方も多いと思われますが、これは僅差の競争を前提としながら、最大限競技性と公平性を確保しようとしたシステムです。「周回遅れ」が発生した場合は、本来レースが終わるまでは接触をするはずではなかった次走者と一緒に前走者(「次走者」から見ると「前々走者」)を待つ、という状況も起こってしまいます。今年の日本チームは残念ながらこの状況に該当し、勝山選手の目の前で2走から3走へのタッチが行われることとなりました。
もちろんそんな可能性も「ある」のがリレー、気落ちなどせずテレイン内では全力を尽くしました。しかし目標としていた「5年前のスプリント予選(個人戦)でのトップ比(114%)」からは遠く、トップから4割増の時間を掛けてしまい、勝山選手を繰り上げスタートさせる結果となりました。
メンバーそれぞれが悔しい思いを抱えながら、帰路へ。4選手とも後半のフォレスト3種目への出場予定はほとんどありませんでした(出場予定選手の故障などによる出場可能性が僅かにありましたが)。そのため、この日以降の数日間は、併設大会への出場やモデルテレインでの練習を共にすることが多くなりました。その数日間、現地の良好な環境下の練習で得た経験と、お互いに与え合った刺激は、特に若い3選手のパフォーマンスをより高いレベルへと引き上げるはずです。私も「若い選手を目標に、足りない力を付ける」という気持ちを持って負けずに取り組みたいと考えています。
最後になりましたが、応援してくださった皆様に深く感謝し、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
開会式前のパレード
競技会場内のディスプレイ
大スクリーンが戦況を映し出す
大会特製の陸橋を選手が通過