第12回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

鈴木 慎一郎
年度大学卒

報告書


内容

  1. 出発まで
  2. トレキャン
  3. モデル
  4. クラシック
  5. ショート予選
  6. ショート決勝
  7. リレー
  8. 全体を通して/日本が強くなるには

出発まで

「ユニバー代表になりたい」という目標があったからこそトレーニングにも力が入ったし、一日一日を大切に過ごして来ることもできた。だから代表になれたときの喜びは今でも忘れられない。しかし、その目標を達成してしまうと、次の目標が見出せないまま月日は過ぎていってしまった。全くの未知であるユニバーには具体的な目標を設定できず、トレーニングもさぼりがちになってしまい、5・6月の走行距離は急激に落ちた。

転機は富士での合宿。体力が落ち切ってしまったことを痛感し、思い切り走れなくては技術の課題も見えてこないことに気付かされる。かといって無理にスピードを上げると思考回路が鈍ってミスを連発し、レースが崩れてしまう。オリェンテーリングとは走れなくては面白くない競技だと思い知らされた。この調子でいったら折角のユニバーだって後悔しか残らないだろうこの合宿の後・今までの反省と今後の決意表明をメーリングリスト上で加賀屋さんから流していただいたこうすることでトレーニングに対する気持ちを入れ替え、そこから逃げられないようにした代表として行く以上、もはや自分一人の問題ではない、日本の学生を背負って立つんだし、周りの人たちの様々な応援やサポートだって無駄にはできない。

7月は量・質ともほぼ満足なトレーニングができた。200キロには届かなかったが、ほとんどが坂道トレーニング。月は量より質にこだわった。このとき役に立つたのが過去のトレーニングの記録で、調子の良かった時はどんな練習をしていたかとか、どのくらいで体力が復活するのかが分かっていたから計画を立て易かった。また、夏の暑い中、日本でオリェンテーリングをやって嫌なイメージを持つより、いいイメージのままわざと遠ざかって「早くオリエンテーリングがしたい」という気持ちでユニバーを迎えられるようにした。その代わりに登山を多くこなした結果、登坂力とスタミナが付いたようだ。

しかし、出発前に1つ大きな不安があった。それは、初めての海外でのオリエンテーリング(98年北京のAPOCはあるが・・)ということで、全く新しいテレインに対応できるかということ。フランスのMAPは加賀屋さんから頂いていたので事ある毎に眺めていたが、実感までは湧いてこない。

トレキャン

みんなより1日遅れで高橋・紺野と共にフランスに入ったトレキャン初日・テレインは日本に似ていて相性も良く、1番心配していたことは早くも解決された。林もきれいで走りやすいし、気候もいい。3日間のトレキャンで特に意識して練習したことは、歩測を多用することと、アタックの精度を高めること。点状へのアタックが多く、ミーティングでもアタックで注意することやリカバーの仕方を研究するように言われた。また、自分の調子を見て無理せず、その分集中して練習するようにとのことだったので、途中はスピードを限界まで上げてみたり、途中は歩いて地図と現地とをじっくり対応させてみたりして、メリハリの効いた練習を心がけた。

モデル

いよいよロアンヌヘ。モデルコースを走ってみた感じもトレキャンと変わらない。今まで日本で養ってきた技術をしっかり使えば大丈夫だ。しかし、集中力を切らして大雑把に直進などすると痛い目に合ってしまうので、小まめにCPを定める必要がある。一旦現在地を見失うとリロケートが困難だった。

クラシック

クラシックリザーブを村越コーチから伝えられたのは3日前。ある程度予測していたことだったので、その分ショートに賭けようと決意できたが、やはり1人だけ走れないのは少し残念だとその時は感じた。しかし、いざクラシックの日を迎えてみるとサポート&観戦もいいものだ。観戦者の立場に立ってみて、「早く自分も走りたい、いよいよ明日からだ」とモチベーションも上がってきた。

ショート予選

前日のミーティングではAファイナルには半分以上の人数が進めるので、非常に現実的だと言われた。一段と気合いは入る。昨晩ノートにつけた技術の確認などを読み返し、アップも入念にこなしてレースに望む。

平らなAの林をラフに直進するようなコース。途中、分かりきった隣ポの番号を確認しに行ったり、コントロール回りでうろつくこともあったが、大きなミスをせずにまとめられたし、息が切れて苦しい程走った。いいレースができた、と思い込んでいた。だが、ゴール後自分のタイムが大したことないのを知る。速報を見に行くと女子で伊藤きょうがAファイナル進出、すごい!しかし、自分の名前は1番下だった。

周りでは「大きなミスをしてしまった」とか「納得のレースができなかった」と、Aファイナルは不可能でなかったと悔やんでいる声が聞こえた。それに対して自分は、いいと思ったレースがこの結果。日本選手の中でもピリのタイムだった。今日のテレインは簡単だったし、登りのほとんどないスピードレースだったため、自分向きでなかったのは確かだ。しかし、海外では通用しない自分の力を思い知らされたようで、また、周りの日本選手とも差が拡がって1人取り残されたような気がしてショックを隠せなかった。

ショート決勝

Bファイナルの目標はビリ回避。それだけだった。体の大きな外国人に勝てる気がしない、そこまで悲観的になっていた。昨日のように気負う事なく気楽にスタート。

予選とは違い、山がちで斜面のコンタリングや高さ感を試すレッグが多い。CPの設定や、岩などへのアタックにも注意が必要だった。何人かの外国選手とも逢ったが、咋日はどんどん抜かされてあっという間に見えなくなっていったのに対し、今日はそんなこともない。足は確かに速いが、登りなら離されない。後ろで見ていると相手の直進がずれているのが分かり、コントロールには自分が先行することもあった。

1ヵ所ミスが悔やまれるが、何人かの外国人選手に勝つこともでき、自信を取り戻すことができた。

リレー

最終日のリレーでは、レース展開を見ながらアンカーとしてのプレッシャーを心地好く感じていた。1走の紺野は周りのスピードについていけなく不本意だったようで、2走高橋も帰ってくるなり「ごめんなさい」と大分落ち込んでいる。日本は最下位、前のチームとは約10分の開きだ。たった10分、まだ何が起こるか分からない。諦めの気持ちなんか微慶もないばかりか、充分やる気を起こさせる。フランスのウィニングの瞬間に気を取られていると金沢が帰ってきた。

頭も冴え、足も軽い。ミスをしないよう憤重に憤重を重ねながらも必死で走った。紺野の顔を、高橋の顔を、金沢の顔を思い出せ。少しでもタイムを縮めようと一生懸命頑張ったものを自分が使い果たす訳にはいかない。

ポストが次から次へ目の前に現れてくるような気持ち良いレース。集中できていたためか、短く感じられた。男子最後のアンカーが帰ってきたというので、会場からも温かい拍手でゴールを迎えてくれたのには感動。自分のベストを尽くせた喜びと安堵感も込み上げてくる。

しかし、自分の満足できたレースと逆に、よっぽど自分なんかよりトレーニングをこなし、技術を磨こうと努力してきたであろう他のメンバー達が力を発揮できなかったことに不条理というか、そんな複雑な気持ちもする。

全体を通して/日本が強くなるには

日本が世界のオリエンテーリング界で活躍できるようになるまで、まだその道のりは長いのが現実だろう。しかし、日本はまだまだ強くなれるはずだ。それは過去の自分にあてはめてみても実感できる。オリエンテーリングを始めて間もない頃、先輩が手の届かないような速さに感じたことは誰にも経験があると思う。それが、いつの間にか1歩づつ上のクラスでも通用できるようになっていく。必要なのはそのレベルに慣れ、その中で練習することだと思う。地理の都合上、私達日本人が多くの国際大会を経験することは難しいが、今年はワールドカップも日本で行われたし、今後国際大会を日本に誘致する運動も盛んなので、これからに期待したい。自分が初めて世界を相手に戦ってみた感想は、やはり世界のレベルは高かったということだが、まだまだ自分のタイムを縮める方法はいくらでもあるということが分かった。それを知っただけでも今後オリエンテーリングに対して意欲的に関わっていけそうだ。


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