選考会は静岡県協会の協力を得て、4月28日に「勢子辻」で開催し、 男女各上位4人と技術委員会の推薦により男子は小泉と新宅、女子は黒河を選出した。
1 | 紺野俊介 | 早稲田大学卒業 | 1 | 宮内佐季子 | 京都大学 |
2 | 高橋善徳 | 筑波大学大学院修了 | 2 | 番場洋子 | 京都大学大学院 |
3 | 加藤弘之 | 東京大学大学院 | 3 | 塩田美佐 | 筑波大学大学院 |
4 | 西尾信寛 | 京都大学 | 4 | 田島聖子 | 東京女子大学 |
推薦 | 小泉成行 | 筑波大学 | 推薦 | 黒河幸子 | 筑波大学 |
推薦 | 新宅有太 | 京都大学 |
選手強化のために一番効果的なのは質の高い合宿であるとの考えから、今回は出来る限り多くの合宿を開催した。選考会後7月末までの3ヶ月間、2週間に1度のペースで合宿/大会参加/練習会を行った。この時期にNT合宿が1カ月おきに開催されたのも有難かった。
ブルガリアは高速レースが予想されたので、メニューはスピードを意識した競い合いのあるメニューを中心にこなした。具体的にはレース形式1本+チェイシングインターバル(4人程度のグループで同じコースを短い間隔でスタート)もしくはマススタート(同時スタートでファシタ)である。これは3月末に来日した元SWEコーチ、ヨラン・アンダーソンによる影響もあった。合宿の数を多くすることは体力的に厳しく、実際7月頃には体調の崩した選手もいたが、深刻な怪我には至らなかった。合宿の開催にあたり、多くの団体の協力を得た。早大OC、静岡県協会、東大OLK、トータス、京葉OLクラブに感謝したい。さらに合宿時は松澤をはじめとするNT選手にトレーニングパートナーとして参加してもらった。国内トップ選手の参加は質の高いトレーニングを積むためには欠かせないものである。また、学連行事の一環との考えから希望する現役学生の参加も受け付けた。合宿に支障の無い人数であれば、同世代の選手の参加も選手には刺激を与えたと思っている。
5月3~5日 | 静岡「二子」「須山」「勢子辻」:JWOC合宿と合同 |
5月18~19日 | 静岡「二子」「勢子辻」:NT合宿に参加 |
5月25~26日 | 小海スポーツフェスタに参加(高橋のみ) |
6月1日 | 全日本パークO、2日東大大会 |
6月15~16日 | 群馬「赤城」「りんごの里」:JWOC合宿と合同 |
6月29~30日 | 八ヶ岳「IZUMIGO」「AMIGASA」 |
7月13~14日 | 富士「村山口登山道」「桑崎」:NT合宿と合同 |
7月28日 | 千葉「一宮砂丘」 |
また、合宿時には個別に選手とのミーティングを2回行った。1回につき10分程度の予定だったが、実際には20分以上かかった。テレイン内ではなかなか選手とゆっくり話す時間もとれないので、選手の状態を確認するためにも直接対話する機会は必要である。
大会エントリーにあたっては、理事の広江氏にJOAへの派遣状の依頼事務を、元技術委員長の羽鳥氏にエントリー関係の業務を担当してもらった。世界大学選手権のエントリーにはJOAを通じてJOC(日本オリンピック委員会)の署名をもらう必要がある。現在学連とJOAとのつながりは薄く、エントリーを円滑に行うためには上記2氏の役割は非常に重要である。なお、エントリーに関して必要なデータについては前回フランス報告書の羽鳥氏の文章を参照してもらいたい。
また今回選考会で、初めて選手認定状を日本学連会長名で作成した。これまでは選手に選考されてもその場では何の証明書もあたえられていなかった。しかし職場や大学の研究室などに長期遠征の説明をするためにはこのような認定状が有効であると考える。
何人かの選手は7月から北欧やチェコに遠征を重ね、またユニバ直前にスイスでのWOC2003のトレキャンもあり、選手の現地入りはばらばらになった。そのためトレーニングで全員揃ったのは16日午前と17日だけで、あとは休養日を設けずに選手の判断で休みを入れた。レンタカーを3台借りたため、選手が途中で帰ったり、トレーニングの順番を変えたりのリクエストには最大限対応した。また、13日から17日までは主催者がホスト(テレイン案内兼ドライバー)を付けてくれたので助かった。
8月12日夜 | 尾上、西尾、小泉、番場、黒河到着 |
13日 | 午後テレイン内を軽く走る夜加藤、田島到着 |
14日 | 午前設置されたテレインを自由に走る午後ポイントO(3km) 夜加賀屋博、加賀屋寿、高橋、新宅、宮内、塩田到着 |
15日 | 午前ポイントO(4km)、午後ポイントO(4km)夜紺野到着 |
16日 | 午前JWOC99のショート予選コース男子5km、女子4km午後ポイントO(3km) |
17日 | 地元レース(GegunCup)参加(男子9km、女子7km)、尾上入院 |
18日 | 午前ポイントO(3km)午後休養尾上退院 |
19日 | 午前休養午後夕方大会宿舎へ移動 |
20日 | 午前休養午後モデルイベント夜開会式 |
21日 | クラシック |
22日 | 午前休養午後ショート予選 |
23日 | 午前ショート決勝午後休養 |
24日 | リレー、バンケット |
毎日夜に主催者側と翌日のトレーニングテレインについて交渉した。ブリテンに記載されたトレーニングテレインであっても、主催者側が全ての地図を準備していなかったため、地図の在庫を確認するなどで予想外に時間がかかった。JWOCショート予選の地図などは当日朝にカラーコピーしてもらった。今回はトレキャンに対する主催者の事前の情報提供が少なく、実際に現地でも苦労した。最終的にほぼ予定通りのトレーニングはこなすことができたが、現地入りしてすぐに予定している全てのテレインについて地図やコントロールの設置状況をきちんと把握しておくことが重要である。
前回報告書にもあるように、オフィシャルの重要な任務に選手登録がある。FISU(国際大学スポーツ連盟)の役員によって書類がチェックされ、それが完了しないとIDカードが発行されず宿舎入りできない可能性がある。ただし今回は役員の到着が遅れたため、宿舎入りどころかモデルイベントまでIDなしでOKだった。日本は最初に行ったため20分程度ですんだが、他の国はかなり待たされていた。必要なのは申請書類(事前にJOAに提出する)、在学証明書(英文)、パスポート、写真、登録費(一人あたり20ドル)。
食事が十分な量、種類が提供されなかったため、それを補う食品やレース前、レース後の食料を毎日買い出しした。主なものはバナナ、オレンジジュース、水、ヨーグルト(ブルガリアなのに!)、ケーキ類である。ただし共有スペースがなかったため、コーチ部屋に置いて選手に取りにきてもらうようにした。
大会期間中は毎夜開催され、その後選手を集めてミーティングを開催した。加賀屋と尾上さん、選手の高橋の3名が出席した。ブリテンの情報が変わることがあるため、TLMでの情報収集は重要である。最も英語力が必要とされる。私のヒアリング能力では不十分であり、尾上さんがいてくれて助かった。なお、96年の羽鳥氏につづいて今回も日本人(加賀屋)が大会のジュリー(裁定委員)に指名された。ノンユーロピアンでフルエントリーするのが日本だけであるためだが、毎回参加してその存在が他国にはかなり認識されているようである。よい成績を収めることとは別に、このように自分たちの存在が認められるのは嬉しいものである。
4日連続レースを行うため、レース後の身体のケア、マッサージは欠かせない。今回は女子がコーチを含めて3人一組交代でマッサージを行い、男子はほぼ全員加賀屋が行った。それでも時間がかかってしまい、最後に行う選手の就寝時間が遅くなってしまった。
テレインは予想と違って、オープンと藪のコンビネーションによる非常にタフなテレインであった。男子はトップ87分に対して紺野が107分123%。トップタイム比では前回の120%をわずかに下回るが、タフなテレインを考慮すれば同等以上の成果だろう。他に加藤が118分、小泉が127分。西尾はラス前で女子コントロールをとりペナ。高橋はラストスタート付近で途中の給水がなくなるという不運もあり途中棄権。
女子はトップ64分に対し番場が83分129%。女子で130%を切ったのは96年の中村正子以来であり、これも十分といえる成果。他に塩田が91分、宮内が96分。田島と黒河は苦戦し,それぞれ114分と118分。
紺野、番場にしてもミスが多く決して満足のいくレースではなかったが、外国選手もミスが多く、チャンスがあるレースでもあった。完璧なレースでなくとも30位は十分狙えるし、20位も不可能ではないと感じた。
今回選手の多くが目標とし、実際に最も成果のあったレース。女子で塩田と田島、男子で紺野の合計3人が予選を通過した。男子の通過と女子の複数人通過はともにユニバ初である。特に選考会4位で現役生である田島が通過したことは大きな意義がある。
さらに塩田と紺野は予選を11位と12位と、ボーダーぎりぎりではなく、余裕をもって通過している。共に2回目の出場だが、前回の経験をよく生かした。特に紺野はトップタイム比109%、ラップ分析による巡航速度103と特筆すべきパフォーマンスを発揮した。
他に女子の番場や男子の加藤、高橋にも通過の十分可能性はあった。それぞれ1、2回のミスで逃したのは残念である。しかしこの結果から、選手全員が予選通過を目指したことは十分現実的であったといえる。また、予選のテレインはトレキャンで入ったテレインに一番近く、選手が対応しやすかったのも一因であろう。
予選に反して決勝のパフォーマンスは低かった。Aファイナルでは紺野が48人中46位。塩田が40位、田島が46位。今後は決勝でのパフォーマンスが課題となってくる。選手のコメントからは、予選は通過という明確な目標があるのにたいし、決勝はどのようなレースをすればよいかイメージが湧きづらく、その結果、突っ込みすぎてミスするか、抑えすぎてしまうかのようだ。Bファイナルでは番場と加藤がまとめたいいレースをしたが、他の選手はかなりミスが多いレースとなってしまった。また、予選に較べて全体的に見通しが悪く走りにくかったことも要因となっている。
個人戦の結果に較べるとリレーのパフォーマンスは低すぎる。男子が15か国中の最下位。女子は2人ペナで失格。男子は1走の紺野が初めから大きなミスで出遅れ、トップ43分のところ79分。加藤は56分とうまくまとめ、その後高橋64分、小泉59分で対トップ比136%。仮に紺野が60分とまともに走れば過去最高の126%にはなるが、それでも入賞の8位とは30分もの差がある。一人あたり52-3分で走る必要があるが、現時点ではかなり厳しい。
女子は塩田と田島の2人が失格。共にパブリックコントロールの次で、砂漠のようなオープン地帯で距離と方向を狂わせてしまった。かなり体力的に追い込まれていて、冷静な判断力が失われていたようだ。トップ43分のところ、他に番場が69分、宮内が73分。完走したとしてトップタイム比は145%であるが、実は過去最高。しかし今回のメンバーの実力から言えばもっと出せるし、8位入賞のタイム(一人61分)も男子に較べればかなり現実的だ。実際に1走の塩田は中間までトップ22分のところを26分で走っており、ショート予選と同程度のパフォーマンスは発揮した。この時点では13か国中6位であり、その後大きなロスをしてしまったのは惜しい。
今回は大きな成果と変わらぬ課題が残った大会であった。成果はショートの予選を3人通過したことである。複数人の通過者、特に現役生の田島が通ったことで、ショート予選通過は代表選手にとっては適切な目標であったといえる。
反面、他のレースの成績は十分とはいいがたい。その要因としては、テレインに対する適応力がある。ショート予選は昔の地図があって、テレインのイメージが分かっていたし、事前のトレーニングもできた。しかし他のレースは実際に地図をもらって見て予想外ということもあり、それが結果に反映されている。情報収集が不十分だった点はコーチの反省でもあり、99年JWOCのテレインの、平らで白い林のイメージに引きずられすぎていた。
最近の選手権大会は、一番走りやすいテレインよりも、むしろやぶとか走りづらいところをメインとして使う傾向がある。昨年のフィンランド世界選手権や、秋田のワールドゲームスでもそうだ。レースごとにテレインが変わる場合はモデルイベントでも十分な情報が提供されることもない。あとはレースが始まってからいかに早くそのテレインに適応できるかが大切になる。いろんなタイプのテレインを走っておく経験と、どういう条件でも信頼できる自分の武器を身に付けること、すなわち自分のオリエンテーリングスタイルの確立が必要となってくる。
あとは、ショート予選以外のレースの目標設定も大事だ。特にリレーはトップ比過去最高程度の目標しか与えていないが、それがリレーでのパフォーマンスの低さにつながっているのかもしれない。選手からのコメントにもあったが、走順などチームの戦略についてもっと話し合っていく必要がある。現在の参加国数であれば、8位入賞というのは厳しいがかなわない目標ではない。選手がわくわくできるような目標をあたえてやりたいし、選手にも持ってもらいたい。これから先、さらに上のレベルにあがるためには絶対必要である。
私自身選手個人のオリエンテーリングを見る機会が少なかったが、各選手とも自分の体調やオリエンテーリングを把握することはできていた。また、今回の選手はインカレ上位を争う大学出身(京大4人、筑波4人、東大2人、早稲田1人)ばかりで、基礎的技術の習得は十分であった。しかし身に付けている技術を本番のレースで使いこなせるか、という点ではまだまだである。大舞台の緊張している状況で、さらにレース後半体力的に厳しい状況で正確な技術を使いこなせるかどうか。今回、個人、リレーで多くの失格者を出したり、練習ではしないような大きなミスを多数出てしまったことは大きな反省点である。失格はいずれも体力的に厳しい状況で冷静な判断力を失っていた。大舞台では普段では考えられないようなミスが起こりうる。それに対処するためには、結局普段から大舞台でのレースを意識した練習を行うことしかない。正確な技術は経験の積み重ねによって築かれるものである。日本で行う一つ一つの練習やレースの内容が国際舞台のパフォーマンスに直結することを意識して取り組んでほしい。
選考会の推薦選手は当日会場にいた技術委員と担当理事の加賀屋で行ったが、どのような選手を選考するか方針を定めていなかった。最終的にインカレでの実績と現役生という点が重視したが、推薦は僅か1時間程度で決定しなければならないため、次回は事前に方針を決めておくことが必要である。選手選考やその後の選手強化において、技術委員会の意識が希薄であるような気がする。もっと積極的な関与を求めたい。
合宿の運営に労力をさいたため、私自身は選手にコーチングすることが少なかった。この点については、後記の個人的な反省で述べる。
また、テレインを最大限生かした難易度の高いコースを設定したが、ミス設置などがあり、十分なトレーニングができたとはいいがたい。国内の合宿では、本番に似たテレインよりはむしろ精度の高い地図で難易度の高いコースを組むことが必要である。また、クラシックの練習には、通常の大会よりももっと難しく、長いコース(レッグ)を提供する必要がある。そのためには優秀なスタッフの確保が重要である。これにはユニバにどれだけ力をいれるか、という方針にかかわってくるが、NT合宿などと調整を図り、質の高い練習機会を確保する必要がある。合宿の頻度として、今回は最大限多く(2週間に1回)開催したが、選手には概ね好評であった。次回にも引き続き同程度の頻度で開催したい。
日本チームは今回最も早く現地入りし、恐らく参加国の中で最もトレーニングした国である。ヨーロッパ諸国であれば、直前に現地入りして1,2日テレインに入ってすぐレースというのも可能であるが、日本では時差や海外レース経験量の少なさからいって直前に十分テレインに入っておくことは有効である。ただし、長いトレキャン(直前の遠征含む)は体力的な疲れや緊張感の維持(精神的に疲れる又はだれてしまう)の問題もあるのでその点は気をつける必要がある。
また今回はスタッフが3人いてレンタカーも3台あったため、選手の希望に合わせてメニューを組めたが、少々凝りすぎたかもしれない。あくまでトレキャンは最終チェックであり、あまりトレキャンでいろいろと試そうとするべきではない。次回のチェコは時期から言って今回ほどの時間はとれないし、オフィシャルの人数も確保しずらいので、この意識は必要である。
ユニバはレースが連続するため、次のレースに向けてすばやく気持ちを切り替える必要がある。今回はほとんど行わなかったが、その日のレースをチームとして振り返っておくことが必要である。スイスチームは熱心に行っていた。自分の心の中で反省するだけでなく、他の選手と議論することで次のレースへの課題が明確になってくるであろう。
次回のユニバは2004年6月23日~29日に、チェコのプルゼンで開催されることが決まっている。種目がロング、ミドル、スプリント及びリレーである。予選はなくなり、全て決勝レースのみである。日程が通常よりもかなり早いため、準備期間が短さや遠征期間の確保などの問題が出てくる。また、ショート予選という適当な目標がなくなるため、新たな目標設定が必要となる。今回の成績を受けて、次回はリレー8位入賞、個人戦20位以内を掲げておきたい。ショート予選通過よりは厳しい目標だが、決して無理なレベルではない。この報告書を読んでいる選手の一人でも多くが次回ユニバを目指してくれることを望む。
6月23日 | 到着 |
24日 | トレーニング、開会式 |
25日 | ロングディスタンス(各国4人) |
26日 | スプリントディスタンス(各国3人) |
27日 | ミドルディスタンス(各国4人) |
28日 | リレー(各国4人)、バンケット |
29日 | 出発 |
公式Webサイト:http://www.orientacnibeh.cz/english/wuoc2004/index.htm
6月開催とかなり早い時期の開催になるため、従来の強化日程では期間が短くなる。しかし3月にはインカレや全日本があり、この大会以前に選考会を開催することはほぼ無理である。しかしユニバ出場の意思を確認し、緊張感のあるレースで結果を残すという意味からも選考会で選手を決めることは必要である。実際には4月上旬に選考会開催、その後2ヶ月あまりの強化期間でユニバに望むことになろう。
このため、選手はインカレ以降ユニバに向けて身体を鍛えなおすことは難しく、コンディションを維持して、技術的な修正を行う程度になる。今からユニバを目指す選手は6月を見据えて強化に努めて欲しい。また、前年の秋にユニバを意識した強化合宿を開催することが必要である。
準備期間が短くなるといっても、6月開催は日本の暑い夏の前であり、ヨーロッパではシーズンの初めでもあるなど通常よりも有利な条件もある。
日本学連は前回まで100万、今回は額を減らしたが70万と、他の代表選手に較べると多大な補助を行っている。金額の妥当性については今回の会計報告を基に議論してもらいたいが、一番大事なのはユニバ選手を自分たちの代表だと認識することである。また選手にも学連の代表だということは自覚してもらいたい。世界大学選手権はWOCやJWOCなどのIOF(世界オリエンテーリング連盟)主催大会ではなく、FISU(世界大学スポーツ連盟)主催の総合スポーツ競技会の一競技であり、選手母体はあくまで日本学生オリエンテーリング連盟である。
大会成績や選手選考会に積極的な広報を行い、多くの加盟員に大学選手権を目指してもらうとともに選手強化に学連(主として技術委員会)が主体的に関わることが必要である。
私は92年のユニバ出場から01年の世界選手権までの10年間、ほぼ毎年代表選手として海外遠征を行い、今回初めてオフィシャル(コーチ)として大会に参加した。
しかし、実際にはほとんど個別の選手に対してコーチングを行わなかった。一番重要視したのは選手強化のための環境づくりであり、具体的には国内合宿やトレキャンのスケジュール、メニュー作成、運営である。合宿の運営という点では実は前回フランスのユニバのときと同じようなスタッフ的役割である。
スタッフがいなかったこともあるが、自分としても今回はスタッフ的な立場で望むつもりでいた。短い期間で個別の選手に的確なアドバイスを与えられる経験もないし、ユニバ代表クラスともなれば技術面で教えることは少ない。ある程度のレベルになれば、オリエンテーリング選手は自分で考え、自分で修正する能力が無くては成長しないとも思う。もちろん選手からリクエストがあれば対応するし、種目ごとのメンバー選考などは責任を持って行わなければならない。そのために各選手と話をして状況を把握することは必要である。
選手からは物足りないと思われたかもしれないが、自身の選手経験からオリエンテーリングのコーチというのは難しく、現状ではこれが精一杯だと思っている。次回は誰がコーチ(オフィシャル)をやるのかはまだ決定していないが、第一に必要なのは選手強化のための環境づくりであることを意識してもらいたい。
ユニバ終了日に選手からコメントを述べてもらった。貴重なコメントであり、他に公表する機会がないので以下に記してコーチの報告を終りたい。