前回、二年前ブルガリアで開催されたユニバに引き続き、今回もオフィシャルとして選手たちと同行することになった。 二度目ともなると気持ちにも余裕ができた分、リラックスして選手と向き合えた二ヵ月半であった。
選手選考会から大会まで二ヶ月しかないため、タイトな合宿スケジュールとなった。 そのため殆ど毎週末、顔を合わせていた。 ただし、ただ集まるだけでなく、たくさん話し合いを行い、その為に充分すぎるくらいの時間を費やした。
話し合いの焦点その一は出場種目である。 今回、種目はロング、ミドルと新たにスプリントが加わり、従来だと全員全種目出場できたところを、 ロング・ミドルは4名、スプリントは3名という出場枠となった。 誰が何を走るか。 私は女子チームに混ざって話し合いの場に加わった。 合宿には学連スタッフかつユニバ経験者の金子恵美と、同じく経験者の深澤博子も加わり、 技術的なアドバイスをするには厳しい私に代わって良き指南役として活躍してくれた。 また、チーム最年長者の番場はオピニオンリーダーとしても仲間を引っ張っていってくれた。 JWOC、WUOCと海外経験を積み、WOCを臨む選手の話はハイレベルで、 トレーニング方法やテレイン攻略などアイデアや刺激を与えていってくれた。 番場に任せた分が自然と大きくなり、力になれなくて申し訳なかった。
話し合いを進めていくうちに気付いた。 ここにいる女子チームは面白いくらいみな似たタイプのランナーで、みな同じようにスプリントを敬遠していた。 スプリントはまだ馴染みの薄い競技だろうから仕方ない。 とはいうものの、出場しないわけにはいかない。 ここで走れば日本初のスプリントランナーとして歴史に刻まれるのだ!などという誘い文句もさることながら、 スプリント競技の面白さやロングと違って互角に戦える可能性の高さも強調し、本人たちの納得を得た上で出場選手が決まっていった。 しかし、走りなれないスプリントの対策として、合宿で一度しか練習する機会がなかった。 それもなんとか捻出してできたもので、それ以上は厳しかった。 それが女子のスプリントの結果に響いたように思える。 前からスプリントを研究してきていた小泉(レース途中捻挫をしたのは残念だったが)の快走を見ると、 スプリント対策を早いうちから合宿プランに練りこんでおくべきだと思った。
その二は、最初からチームの目標としていたリレーのメンバーと走順の決定である (ちなみに世界選手権では3人制となっているのに対し、ユニバは4人制のままである)。 前回はコーチの意向で速い人順に1~4走と機械的に決めていったのだが、それは走る本人たちにとって不満の残るところであった。 今回は選手の気持ちを活かして、走順に関しても互いの納得のいくまで話し合って決めた。
大会で最後の種目となるリレーを最終目標に据えたおかげで、チームが最後まで良いまとまりを保つことができたと思える。
合宿準備作業と平行して、日本チームのエントリー業務を行った。 加賀屋よりまともな英文が書ける自信があるので、コンタクトパーソンとして、チェコのオーガナイザーとのメールのやりとりをした。 4月11日のセレクションレースで選手が決定した時点で、実は既に大会3ヶ月前までに行うべきエントリーの締切が過ぎていた。 それからでもエントリーは受け入れてくれた。 数日後、大会公式ホームページでエントリーした国一覧がアップされた。 日の丸とJPNを目にしてホッと一安心した。
そして5月に入ってトレーニングキャンプの申込をブリテンに記載される担当者にメールで行った。 普通にエントリーすると6月20日から27日までの宿と21日のトレキャンが含まれるのだが、我々は一日早い到着の旅程。 そこで担当者のオンドレイ・ハシェックに問い合わせたことは、1)20日のトレキャンは可能かどうか、 2)到着する19日の空港からピルゼンの宿までの交通手段はどうなるか、 3)可能であれば19日の宿は大会期間中の選手宿と同じがいい、 4)トレキャン用の地図を事前に送ってもらえないか (出国前に予めトレーニング用のメニューを組む等準備ができたら、チェコ到着後の作業が楽だと思ったため)、ということだった。 (結局トレキャンの地図を受け取ることはできなかったが、その他は希望通りになった)。 一週間返事が来ないうちにオーガナイザから提出を求められていたTransportation Reservationを、 ブリテンに掲載されるオンドレイとは別のオーガナイザのアドレスに添付ファイルで送付した。 この申込用紙にはチェコに到着する飛行機の便名と到着時刻と人数を具体的に明記するもので、 主催者側はその情報を元に選手の輸送スケジュールを組むのであった。 翌日にはペトル・フラニチカという人から返事が来た。 何者か知らないが、かりりフレンドリーできめ細やかな配慮がメールの内容から伺えた。 レスポンスの無い前述のオンドレイとも連絡をしてみる、とトレキャンとの調整も買って出てくれ、 なんとか上手いことアレンジしてくれそうな期待が持て、とても安心できた。 事実とてもメールまめで、こちらが深夜メールを送れば30分もかからないうちにレスが来て驚いた。 時差を忘れさせる速さである。 などなど、いい仕事ができる人だ、と思っていたら、ブリテンに記載されたロングのマッパーに彼の名前を発見して更に驚いた。 どおりで、納得。 帰国後、O-sportsという欧州中心のOL雑誌を見返してみると、彼が作図した地図や記事がいくつも見られて、 実は凄い人だったことを後になって気付いた。 そうとも知らずにバンケットでお会いしたとき、「あなたマッパーなのね。 (知らなかったわ。)ブリテンや地図に名前を発見したの。」なんて言って、彼に「モグリ」と思われたかもしれない。 御礼に愛知の地図を贈ったら、「これは日本人だけで作ったのか?」とすぐさま問いかけるあたり、さすがマッパーである。
一方、オンドレイはピルゼンの地域クラブの会長で、今回のユニバでも競技面でコアなポジションに就いていた。 実は数年前まで東工大留学中に知り合ったパヴェルがピルゼン在住で、オンドレイのクラブの会員であった。 パヴェルとも出国前からピルゼンに行く旨をメールで伝えていた。 とてもいい人で、チェコ入りして選手宿に到着すると、玄関前で我々を待っていてくれた。 暖かい歓迎にこれから滞在するこの町での暮らしがいい日々になる予感を与えた。 オンドレイとはバンケットでも最後の会話をしたのだが、「ピルゼンに来るならいつでも連絡をしてくれ。 俺でもパヴェルでもアドレスわかってるだろう?」と暖かい言葉をかけてくれた。 いい人たちに本当に恵まれて感謝が尽きない。 最近の大会はホームページが充実して、事前の情報不足による不安要素はだいぶ減ってきていると思う。 刻々と些細なことでもNewsとしてアップされて、見ていて楽しい。 どんな宿に宿泊することになるのかも、建物の外観や部屋の写真が掲載されるので、自分が置かれる生活環境をイメージしやすくて有効である。 そうはいうものの、情報にはリミットがあるし個々が知りたい情報は直接スタッフに問い合わせるしかなく、その応対の良し悪しは大会の印象にも大きく影響するものに思える。 明日はわが身として心がけたい。
その他、今回の大会には癒し系とおおらかさ(いい加減さ?)が随所に見られて、こちらとしてもリラックスを与えられた。 プレスタートエリアに到着しても、スタート枠をこれから設営しようとしていたり(間に合うから別にいいのだが)、 ミドルのプレスタート地区には運営者の子供と思われる幼い兄弟が、本当にスタート枠のすぐそばで堂々と砂遊びなどをしていたり(かわいさの余り、 私だけでなくスロヴァキアのおばさんオフィシャルも写真撮っていた)、会場には運営者が連れてきたミニチュアダックス君が人なつっこくやってきたり。 リレーではスタート前なのに、ポ確を済ませた役員が地図を伏せずに持ち歩いていたり。 リレーの後に恒例で行われるオフィシャルレースでは受付役員でよく顔を会わせていた女の子たちもトリム姿になって一緒に走ったり。 オフィシャルに至っては、プレスタート地区だというのに読書してたり(高野が「窓際オフィシャル」とあだ名をつけていた)、音楽聴いて寝ていたり。 会場は楽しい要素に溢れていたのだった。
アテネオリンピックの競泳で日本が大活躍した。 たまたまテレビでコーチのインタビューを見た。 今回の勝因は「チームワーク」と言っていた。 OL同様個人競技の水泳であるが、チーム一丸となることで選手の間で相乗効果が生まれたという。
今回の日本チームでも目標をリレーと設定し、短期間に高密度の合宿生活を送ったため、チームワークはとてもよいものに仕上がった。 では結果を出すために何が不足するのか。 海外経験不足からの精神的要素が大きいと思われる。 インカレに重きを置く4年間を送ると、海外の大会への切り替えはなかなか難しい。 学生のうちからユニバを目標の一つになれるよう学連は啓蒙活動をしてほしい。 野望ある学生は学生のうちから海外遠征を試みるのも有意義だと思う。 スウェーデンのO-Ringenがポピュラーだが、北欧は物価が非常に高いし、ユニバは北欧よりも物価の安い中欧で開催されることが多い。 中欧遠征を選択肢に入れてみてはどうだろうか。 中欧を渡り歩いた番場は中でもチェコを薦めていた。 私もブルガリアとチェコしか知らないが、選手層のレベルの高さといい、生活面で治安の良さといい、チェコはOLで滞在するにもいい国のように思われる。 大会情報はウェブで容易に検索して得られる。 OLは経験を積めば上達でき、どんどん面白くなるスポーツだと思う。 このスポーツをもっと楽しもう。