ユニバーシアード(以下,ユニバー)のスプリントレース中に足を捻挫してしまい,結局スプリントしか出場することができませんでした. 2回目の出場と言うことで,多くのご期待とご支援をいただいたのに大変申し訳ない結果になってしまったことをお詫びします. しかし,前回から今回までの準備の中で多くのものを得ることができたのでここに報告いたします.
前回のブルガリア大会で,私はまったく良い成績を得ることができなかった. しかしながら,日本ではできているのにユニバーでできなかったことがたくさんあり, それができるようになればもっと良い成績を得られる,リレーでは入賞の可能性もありうると感じた. 今回の大会にも出場する権利があったし,出場できる環境にいることが予測できたので,もう一度ユニバーに出て, 自分の全力を出し切り,そして本番でしっかり結果も残したいと思いもう一度ユニバーに出場することにした. 目標設定は個人戦で対トップ比115%,リレーで入賞が妥当であると考えた. これは前回大会の結果から決して難しいものではないと感じたし,WOC2005を目指す過程でもクリアするべき課題であった.
3年間のトレーニングではフィジカルの強化を中心に据えた. 前回大会で一番大きなギャップを感じたのがフィジカルの弱さだったからであり, またフィジカル面で余裕を感じられないためにオリエンテーリングに集中できなかったからである.
前回大会後,ナショナルチーム(NT)の強化選手にも指定されたので,ランニングクリニックや合宿に参加し,様々な練習方法を学び,普段のトレーニングに取り入れた. 具体的にはサーキット形式の筋力トレーニングや変則的なインターバルトレーニングであり, 激しく動くオリエンテーリングに即したトレーニングを取り入れるようにした. 2003年の夏にはクラブメイトであり前回大会でのチームメイトであった高橋善徳選手が北欧遠征を行い, 多くの知識や経験を伝えてくれたので,その練習方法も取り入れた. トレーニングを期分けし,目的に合わせた運動強度でトレーニングを行うことや,週ごとに階段状に増やしていくトレーニング周期, ハイペースでのオリエンテーリング練習を多くすることなどである. また自身も1ヶ月の遠征を行い,スウェーデンとスイスでオリエンテーリングを多くこなした. これはWOC04,05のためにスウェーデンのテレインや世界選手権の雰囲気を知っておくことが主目的であったが, スイスのコンチネンタルテレインを経験することでチェコのテレインへのイメージ作りをしやすくすることも考慮した. 夏以降,2005年への強化選手に指定されたことでトレーニングへの知識はより増した. またユニバーでの結果が2005年の選手選考に考慮されることになり,モチベーションはさらにあがった.
リレーでの入賞を目指すためには,チームメイト全員が早い段階からそれを目標としトレーニングを行う必要性を感じたので, 前回大会でチームメイトだった加藤弘之選手とユニバー世代に広く呼びかけ,トレーニングの情報交換などを行った.
2004年に入り,選考会やユニバーが近づいてきた頃がトレーニングのピークであった. 2003年は全般的に大会での成績はあまりよくなかったが,体は出来上がっていくのを感じていた. あとはこの体にどうやってオリエンテーリングを合わせていくかが課題であると感じたので, 2月以降はオリエンテーリングの回数を増やし,上手くいかない部分を洗い出してはどう改善すればよいか考えた. 具体的には,せっかくハイペースで走れるようになったのにOL中にそれが活かせていない, それはなぜかと考えたとき,チェックするものが多すぎであると感じた. それを少なくすればより速いペースを維持して走れるが,チェックするものが少なくなると不安も大きくなる. それを克服するにはより確実に現在地を把握できるものをチェックすることが大事であり,それはルートの単純化という課題として現れてきた. 単純化といっても遠回りして道を回ると言うわけではなく, 普段取っているルートをどれだけ単純化して(チェックポイントを少なくして)走れるかということである. それを可能とするために過去に走ったルートを見て,チェックしたものを思い出し,ここは要らない, この尾根だけを見ていれば簡単だ,というふうに考え,ルートの単純化がどういうものかを頭に覚えさせた. それを走りながらでも行えるようにスプリントコースを走るようにした. これは私自身がスプリント競技に興味があること,フィジカルトレーニングとしても非常に有効であることから何度も繰り返した. その練習の中でより短い時間でルートプランを考えられるように,またハイペースで地図が見えるように練習した.
選考会直前に体調を崩し全日本大会は散々だったが,選考会では体調も戻り, 速いペースで,また単純化して走れたのでユニバーでもこれができれば結果は付いてくると感じた.
ユニバー代表には選ばれたが,並行してWOC2004の選手選考会が続いていたので,トレーニング量は増やさなかった. その分オリエンテーリング時間を増やすことにした. 最初の合宿で希望通りスプリントとミドルに出場することが決まったのでロング向けのトレーニングはしないで, 1時間以内のレースをこなせるトレーニングを多くした. つまりLSDなど長時間のトレーニングは避け,短時間で負荷の高いトレーニングを中心にした.
しかし4月末のトレーニング中に右足のアキレス腱を痛めてしまい,ゴールデンウィークのWOC選考会, ユニバー合宿,それに続くNT合宿という1週間の合宿を十分にこなすことができなかった. 一方でこの合宿中に得た練習方法やレース中の思考はオリエンテーリングへのイメージ作りに大いに役立ち, 早くオリエンテーリングがしたいというワクワクした気持ちになった.
怪我が気にならなくなったのは5月の末であったが,その時期の愛知でのユニバー合宿中のレースでも単純化してリズムよく走れた. 続く東大大会でも自己最高の2位を獲得したので,自信を持ってユニバーに望むことができた. あとはこのオリエンテーリングをチェコでもすればいいだけと感じ,レース前にリラックスできるようレース前の行動をイメージした.
図1.ユニバーまでの1年間のトレーニング量
(一番上の目盛が16時間.色分けは一番上から「最大負荷」「高~中負荷」「中~低負荷」「低負荷」「超低負荷(ウォーキングなど)」「筋力トレーニング」「オリエンテーリング」)
ユニバーやワールドカップ,世界選手権出場に合わせて3ヶ月の遠征を行うことになったので早めに遠征準備を始めたことから, 直前に慌てることはなかった. さらに出国1週間前から生活時間を3時間遅らせて時差調整を行った. ただの遅寝遅起きであったが...
チケットの関係で他の選手より1日遅いチェコ入りであったが,チェコに着いた翌日に眠くて仕方なかった以外は問題なかった. 食事も前回大会に比べれば十分に食べられたので問題はなかった.
レース前にモデルイベントをあわせて3つのテレインに入ったが,コントロール脱出後の最初の第一歩さえ正確な方向に踏み出せば 何も問題なく進めると感じた.地形や植生も認識するのは難しくなかった. 前回の開会式では変に強張っていた気がするが,今回はとてもリラックスできた. ロングの日は会場で他の選手を応援した. この日は運動もほとんどしなかった.
スプリントはあまり食事を気にする必要がなかったので,朝食は早めに済ませ,また量も少なめにした. 準備はいつもどおりスタート90分前から始めた. スタート前はまったく緊張しなかった. スタートしてからも普段のスプリント練習のペースで走れ,またマップとのコンタクトもしっかり行えていたので,このペースで走りきれれば大丈夫だと感じた. デフの見間違いとものすごく近接したコントロールに惑わされ,コントロールの目の前で止まってしまうことはあったが,動いている間はなんの問題もなく行えた. 10番コントロールの目の前で怪我をしてしまい,しばらく動けなかったが,なんとか走れたので続けた. しかしそこで体の角度が変わってしまったため脱出方向がずれ,11番で大きくミスした. それ以降は追いつかれた選手についていくのが精一杯であった. 終盤の公園部分ではセミオープンと並木の区別が難しく再び大きなミスをしてしまった. 結局タイムはまったく伸びずゴール. ゴール後しばらくして足が大きく腫れてきて一人で走ることさえできなかった. アイシングをして,車で宿まで送ってもらい,その後病院でレントゲン検査をしたが骨に異常はないとのことで,安心した. 回復具合がどうなるかわからなかったが,翌日のミドルレースはとても走れそうにはなかったし,やはりリレーに賭けたかったので,欠場することにした.
ミドルの日は会場に行かず宿でアイシングを繰り返し回復に努めた. しかしリレーの朝になっても歩くのがやっとだったので坂本にゼッケンを託した.
結局スプリントしか出場できなかったわけであるが,スプリントの結果は僕にとってはやや驚きだった. 序盤の入りはそこまで早いと思わなかったのだが,1桁順位のスプリットタイムもありよいペースで走れていた. 怪我する直前までもトップ比115%以内で走れており,あのまま走れていればとの思いは消えない. しかし,この成果だけでも私にとっては十分な自信である. スプリント,特に公園でのレースはテレインへの有利不利が少ないので日本でのトレーニングやレース経験がダイレクトに活かせる. 普段からスプリントレースをしていた成果が表れたと見てよいだろう. 115%は現段階でも走れることを考えると,今後は110%を切ることを目標にしていくべきであろう.
怪我の理由は良くわかっていない. 何かに引っかかったときに左足の甲で着地してしまい左足の甲の筋を何本か切ってしまった. 疲れで反応が鈍っていたと言えばそうかもしれないし,テーピングをもっと頑丈にしていればよかったのかもしれない. 確かに防げた怪我であったかもしれないが,でもそれをしていたらベストパフォーマンスを出せたかどうかわからない. 限界近くで競技をする以上,怪我とは常に隣り合わせであるから今回たまたまそうなってしまったとしか言えない. しかし怪我に対して最大限の予防をしておくべきだとは言える.
ミドルやリレーには出なかったのでチェコの林の中でレースをしなかったが,他の選手の結果は厳しいものと言わざるを得ない. ウイニングタイムを見るとトップ選手のハイペースが強調されるが,モデルイベントなどで走った感覚からただ林の中を走るだけなら そのペースは私たちにとっても決して速いものではないと感じる. フラットな部分ではとても走りやすく,それがトップタイムのハイペースに繋がるが,これは日本選手にも言えることである. 問題になってくるのはそのペースでナビゲーションができるかどうかであり,大きな差が出るのはここである. 我々はハイペースでのナビゲーションに慣れていないだけなのである.
日本のテレインではハイペースで走ることが難しいため,ハイペースでのナビゲーション練習がなかなかできないのは確かに不利であろう. しかしパークOや短いコース,あるいはダウンヒルコースなど工夫すればその練習は可能である. 今後は早い段階からハイペースでのナビゲーション練習を多くの選手に提供していくことが求められるであろうし, 選手の側でもその目的をしっかり認識してトレーニングに取り組むべきである.
今回の国内合宿は,WOCセレクションと併設していたことが多かったので仕方ない部分もあったとは思うが, 国内合宿への代表以外の学生の参加がもっとあっていいと思う. 前回大会の国内合宿へ参加した学生の中から今回の代表選手に選ばれ選手もいる. 今回は本当に数人の参加しかなかったのは,ユニバーを学生時代から認知し,目標としてもらう点では残念であった. 合宿にもっと多くの選手を呼び,そこで次の世代にユニバー代表の雰囲気を知ってもらうことは, 学連にとっても日本のオリエンテーリング界にとっても意義深いものになるであろう. 合宿運営へかけられる労力との兼ね合いもあるので,学連合宿のようにまったくオープンにすることは難しいかもしれないが, せめて後輩や友人を連れて来ることを積極的に行って欲しい.
前回のブルガリア大会での経験上,また今回そうであった選手の話からも,初めての海外,初めての海外の大会には何かしらストレスが生まれる. 慣れないテレインやコースへの適応とは別に,日本とは違う食生活,時間通りに進まないスケジュール, 風呂に入れない生活,手洗いの洗濯など生活面でのストレスはレースへの集中を削ぐ要因に成りかねない. それを少しでも克服するために,ユニバーに行く前に一度でもいいから海外遠征をしておくことをお勧めする. それも決して恵まれた環境ではなく,むしろ悪い環境での遠征をすることを. 例えば設備の揃った宿泊施設ではなく,素泊まりの安宿やキャンプなどで寝泊りし, 現地のスーパーで食材を揃え自炊し,ハードフロアで寝て,シャワーと洗濯を一緒にし,休養など考えずに, オリエンテーリングをした日の夕方にサッカーをし,湖で泳ぐ. そんなタフな経験をすれば,ユニバーでの環境はとても恵まれた環境に思えるだろう.
今回,私はユニバー期間中の生活環境にはなんの不便も感じなかった. また坂本が比較的よい成績を残した. 私たちは昨年に猛暑のスウェーデンやスイスでタフな環境で遠征をしていた. その経験は今回の遠征に大いに役に立ったことだろう. その環境であれば,また北欧にこだわらず東欧の国々であれば旅費も安くて済む. 期間は2週間もあれば十分だろう.
次回のスロバキア大会は必ずしも施設面で恵まれているとは言えない. 次回の大会で成績を残したいのであれば海外修行を積むことは重要であろう.
前回大会に引き続き,オフィシャルとして我々の面倒を見ていただいた加賀屋夫妻と尾上さん, 選考会から国内合宿にかけてお世話になった金子さん,西脇さん,前回大会からずっとユニバーを目指してきた加藤, また私たちの呼びかけに応えてくれた田所をはじめ多くの仲間たち,そしてアドバイザーとして応援してくれた松澤さん, 高橋さんなどなどお世話になったすべての方々にお礼を言いたいです. ありがとうございました.
そして,最後にチームメイトとして戦ってきた14名にも感謝しています. 男子のみんなの自分たちがやってやるんだという気持ちは僕を勇気付けてくれました. 女子のみんなとはほとんど話したことがなかったにも関わらず,短期間で仲良くなれたことはみんながよほど魅力的な女性だったからでしょう. とくにチームの年長者として同期の番場さんには多くの面で助けられました.
この2回のユニバーを通して僕自身が大きく成長することができたのは間違いありません. これからもステップアップのための場としてユニバー代表が存在し続けることを願います.