事前の準備については他ぺージで触れられると想うので、現地での様子、特に技術面を振り返りたいと思う。
All Openのゲレンデに驚嘆。目測では距離が掴みづらいが、足元は堅く足が埋もれるほど草が繁っていることもなく走りやすい。ただかなり岩がちで細かな凹凸もあるので外傷や内傷の危険も感じる。実際初日以降右膝関節に違和感を覚えた。だが遠征中体調は全般的に良好だったし、直進の際の目標の定め方にも慣れていったので、総合的には上向きの状態で大会期間を迎える。
モデルイベントは森林内のOLをチェック。やはり藪や崖は直進にとって大敵だ。出国前北東学連誌に「おおプレネリ私の直進大ぶれ也という旬を詠まなくてもいいように・・・」と茶化して書いたものだが、この日の直進は弱く、不安を残す。でもまあ「本番じゃなくて良かった」と開き直っておいた。
開会式では0L選手として初めて経験する町内パレードやスイスの国土を生かした演出に静かに興奮しつつ、「う一ん、自分はやはり日本の代表なんだ」と改めて自覚する。
海外初レース。8分前にプレスタートし、周辺に日本入がいなくなると心細さを感じたが、スタート直前も心拍数は1分間60台。結構落ち着いていた。それでも1番までは地図が読めず自信なく進んでしまう。遅かった。しかし最初のパンチ後は自分を取り戻し、直進の動作、走るスピードものってくる。最終的には4分のロスを感じたが、満足してゴール。この時点で獲得していた方法で、30分ラインまでは見通せたわけである。
レース後の検討で直進に頼り過ぎ、(1)ポスト周りの読図・スピード・コントロールが一部不適切だったこと(2)プラン段階で地形の織り成す線を読み取ることに対する意識が低いことに気づく。補助コンをつなぐ地形のイメージ、プランニング、ナヴィゲーションができていないのだ。
スタート前の心拍数は90台だったか。とにかく「思い切って行く」ことを心がけていたが、結局気ばかり先走ってしまう。ゲレンデがタフになった(藪や斜面がきつくなった)のだが、それに技術を対応させ切れなかった。「タフな直進」というのは国内の合宿時点で課題として浮かび上がっていたはずだ。
地図読み・デフ読みも午前より疎かだった。鉄線・鉄塔さえ拾えていないのである。中盤に1分後スタートの小長井さんに追いつかれる。さらに悪いことには、CCケース使用・重いパンチのおかげでペナルティーがついた。順位さえつかず、後味が悪かった。
ツェルマットヘの観光でリフレッシュし(?)、もっとも自分の力を発揮できると思われたレースに臨む。スタート前何故か「滋賀インカレ前と側た心境だ…」と感じる。
1番で飛ばなければいいが。そんな不安をよそに1番には無難に到着。2分前スタートの選手も目撃し、「いい…」。しかし→4→5と大ロスを続け、しぼみかけてしまう。意地で最後までもたせたが、アタックでロスが重なったことから判断するに潜在的には切れていたようだ。「おかしい」と思った時も自分を納得させようという姿勢に欠けていた。
実は11のアクックで抜かれた85番がThomas Prokes(優勝者)だったことに後で気づく。コントロ一ルまでっいて行き、脱出を目で追った。「正確だ」「不整地の走りがうまい」とは感じたが、圧倒的なカ強さ、スピードに恐れおののく、というではなかった。好調に走っている時に並走し、もっと適切な比較をしたかったというのも、英勝さんの100分は自分にも出せないタイムではなかったというのも、虚しい負け惜しみでしかないのだろうか。とにかく自分が「ユニバーシアードに負けた」ということは確かなのだ。
モデルイベント。リレーメンバーを外れた自分はブルーな気分でEggishornに登る。OLテレインとして決して良好とは言えない山だがあんな気分でいくところではない。
リレー当日は同日同テレインで行われるNational Eventの会場探しや受付に時間を奪われ、リレーの前半を見逃す。そのため選手への感情移入か今一つとなってしまった」。オフィシャル的な貢献もできずじまい。自分のユニバーシアードは一体いつ終わったんだろう。甚だ尻切れトンボに終わってしまった。
でも、National Eventは楽しかった。「こういう雰囲気も味わえて良かったんじゃないか」という安斉さんの言葉は素直に受け入れられる。リレーでも使用した尾根上の徴地形地帯で戸惑い、HK(男子ショート)で真ん中くらいの成績に終わったが、結果は二の次である。本当はひそかに皆を驚かせようと思ってはいたが。
初の海外ということで予想された精神的ストレスもそれほど感じなかった。仲間も楽しく、気候も快適、「メシ、フロ、ネル」に対する、不満もあまり生じない。結果として上にも書いたように体調は良くなるわけである。ただやっばり自分の語学力のなさ、そのために発するコミュニケーション・トラブルには少し参った。
だがそれ以上に参ったのは絶対的な工一ス・鹿島田さんが怪我をした時である。自分なりのその後の展開をイメージしておいたが、選手間で、あるいはコーチ陣ともその件について真剣に話し合っておくべきだったのかもしれない。
以上、簡単にまとめたつもりだが、つい長くなってしまった。後半になるほどネガティブな表現が多くなるし。渡航前の考えでは自分の中でこれが最後の海外遠征報告となるはずだった。でもそうはいかないようである。自分にはもっと明るい文章がお似合いだ。次はそうしてやろうと思う。