第16回世界大学オリエンテーリング選手権大会報告書

日下 雅広
東北大学


内容

  1. 準備
  2. 合宿期間
  3. トレキャン
  4. レース内容
  5. 感想
  6. 最後に
  7. 追記:トラブル

準備

インカレミドルの優勝でユニバーへの切符を手にした自分であったが、当時の自身の目標はインカレリレー優勝であったため、あまり関心が高くなかったというのがその時の本音であった。しかし目標であったインカレリレー優勝は果たせず、目標を失ってしまった自分にとってユニバーは新たな目標となりうるもので、また、一生に一度あるかないかのチャンスでもあった。セレクションレースの結果を見て、ユニバーに行くことを決意した。

合宿期間

合宿および大会は2週間に1度の割合で行われたが、さくらんぼ大会の運営・調査を手伝っていた自分にとっては4月から6月の週末が必ずどちらかで埋まる日程となりなかなかハードなスケジュールであった。合宿は静岡・八ヶ岳など、東北にとっては負担を強いられるものであったが、幸いにも東北カーにはJJ(高田)千々岩・阿部、さらにはJWOCerの2人が加わることもあり、極端に大きな負担にはならなかった。一緒にレンタカーで移動、そして合宿に参加してくれた東北大のみんなにはありがとうと言いたい。合宿で坂本さんに引きずり回してもらったが、1ポに辿り着く前に見失いそうになるほどの差があった。ヤブの中ではこんなにも違いが出るのかとショックを受けた。しかしここで経験しておかなければ、エストニアでもっとひどいことになっていただろう。ちなみに平日の練習も取り組んではみたものの腰を痛める結果となり体力やスピードの向上はできなかった。

トレキャン

上記のように日本では休みのない生活であったため、トレキャンの生活は非常に快適であった。料理もおいしく、生活面でストレスを感じることはなかった。問題はエストニアのテレインのヤブさのみであった。ユニバー前にオーリンゲンに参加した自分は、スウェーデンの白さに感動したのだが、エストニアに来てその植生の激しさに少し落胆してしまった。悪いことに、トレキャンのコントロールにはフラッグではなくストリーマを設置したため、コントロール付近でうろうろすることが多く不安ばかりが募るばかりであった。

レース内容

ロング

自分が出る種目で一番気合いを入れた種目。が、第1コントロールでつぼるという最悪の出だし。しかしそのあとは気持ちを切り替え粘りのレース。前半こそ他選手とのチェイスがあったが後半はほぼ一人旅。帰ってきて速報を見るとリタイアが多数。自分のタフさに少し自信を持ったがそれでも63位。世界の壁の高さを知った。

ミドル

第1コントロールに慎重にアタックしていると2分後の選手に追いつかれた。ついていこうとするも2ポの脱出後見失い3ポでつぼってしまった。そこで頭の中が真っ白になり、現在地を特定できなかった。道がある方向に当てリロケートしようと試みるも、途中でリロケートできたと勘違いしさらに傷口が広がってしまった。その後持ち直すもラス前でおおつぼり。競技時間オーバーという屈辱を味わう(競技時間は70分)。世界のスピードを思い知らされた、こともあるが2回も頭が真っ白になる自分らしくないレースだった。

リレー

ロング、ミドル両方でキロ10分を切れない中、制限時間の関係で最悪キロ10分というリレーは非常にプレッシャーであった。さらにウム回避にはさらに早いタイムを要求されるため、プレッシャーをさらに大きなものにしていた。そして、ロング・ミドル・リレーという3日連続のレース。疲労感は拭いきれなかった。

そのなかでロング・ミドルの反省として大きくつぼることを減らすことが肝心と結論づけ、「できないものはできない」(=つまりは確実にできることだけをする)と手の甲に書いて自分に言い聞かせた。その結果レースではつぼることもなく落ち着いたレース運びをすることができた。ラス前で3走の先頭集団が後ろからやってきて、チェンジオーバーまでの約2分間、スウェーデンとエストニアの間に挟まってチェイスをすることとなった。ラスコンからのテープ誘導で抜こうと思い必死に体を動かしたが差は縮まらなかった。といって広がりもしなかった。ここだけを見ると走力の差は感じなかったが、これが40~50分持続していると考えるとやはり体力の差を感じてしまった。

補足ではあるが、ロング・ミドル・リレーのルートをRoute Gadgetに記入しておいた。海外選手と比較してみるといいだろう。

感想

世界の力を見せつけられた、と同時に自分はもっと速くなれるのではないか?という可能性を見つけられた。今回の結果は悔しい。自分のオリエンというものをさせてもらえなかった。しかし「できない」ものを通して自分のオリエンではここは強いけどここは弱いというのが見えてきたような気がする。自分の弱点、それは「アタック」である。アタックが不正確→コントロール周りでうろつく→コントロール「見つける」=脱出方向がよく分かっていない→コンパス振る(しかし針が止まるのが遅い)→あらぬ方向へ・・・という悪循環に陥ることがあった。もう一つ、走行可能度が低下するエリアでのスピード低下率が海外選手よりも著しいと感じた。Bヤブなのに自分だけCヤブ、といった感じである。道やオープンでは海外選手と競える、しかしヤブに入った途端、離されていく。パックして海外選手の技術を盗もうと思っても、そもそもパックが出来なかった。「離されるものか!」と頑張ってはみたが、できなかった。それが非常に残念でならない。そういった意味では、選考枠の中に「走力枠」のようなものがあっても良いのではないかと思う。

最後に

自分の中には調査者としての腕を上げたいなどどうしても競技に集中できない、競技者としてのオリエンはユニバーで終わり、と考えていた時期があった。しかし今は違う。まだまだ競技者としてもうひと頑張りするつもりである。

最後に、オフィシャルの尾上さん、西脇さん、メンバーの皆さん、合宿運営に携わった方々、様々な形でサポートして下さった方々に感謝の気持ちを贈りたいと思う。ありがとうございました。

追記:トラブル

今回の遠征で競技に関わるトラブルが2つ起こった。1つ目はメガネバンドロスト。幸いにもバンドの予備は2つあり、なんとかなった。しかし予備を持っていかなかったらどうなっていただろうか。レース中にメガネを落としていたかもしれない。少なくとも、レースの巡航に影響していただろう。

2つ目はシューズが壊れてしまったこと。ロングが終わった時点で「もうだめだね」と言われるくらい土踏まずのあたりが裂けていた。そこで軍手とビニテで補強を施した。軍手の指の部分を切り、靴を通してビニテでぐるぐる巻きにした。その補強のおかげでミドルを走ることができた。さらに次の日のリレーではビニテの色(黒・白・赤)でJAPANシューズを作り上げて気分は最高であった。ただメンバーは心配だったと思う。ごめんなさい。

上記のように、もしかしたら何かが壊れるかもしれない。その時の対処まで考えておくと、無駄な不安を抱くことなくレースに臨むことができると思う。


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