今回のユニバーは、2年前のJWOCのリベンジをしたいという思いから目指した。あの時は、海外でオリエンをする楽しさを存分に味わうことができたが、競り合い、勝負をするという競技としてのオリエンテーリングを全くできなかったのが非常に悔しかったから。
選考会(ミドル)では良い走りができたために、代表になることができたが、本当に自分でいいのだろうか、他にもっと行くべき人がいるのではないか、という思いから、迷いが生じていた。しかし、「最終的に代表になって当然だったとみんなに思われるぐらいに頑張って成長すればいいんだ。」と気持ちを切り替えて、代表となることを決意した。
選考会ミドルでは良いレースができたつもりだったが、一つだけ引っかかることがあった。それは、NT選手との大きな差。このレースで1位を取っていた山口大助さんとのタイム差は7分強であったのに対し、自分が縮められそうなのはあと2~3分程。ユニバーで競い合うレースをしようとすると、NT選手と競れるぐらいの実力が必要だろうと考えていたが、NT選手に追いつくために、何をすればいいのか、どこを伸ばせばいいのかが全く分からなかった。なので、本戦までの強化合宿を通して自分の新たなのびしろを発見することを一番の目標に掲げた。
2月位から、左足の付け根あたりに痛みを感じ始めた。それまでは念入りなストレッチやマッサージ、湿布薬等で何とかごまかしてきていたが、5月のNT合宿後にその痛みがついに限界に達してしまった。このまま無理にトレーニングを続けても走れなくなるだけだと思ったので、思い切って2週間完全に休むことにした。
しかし、痛みが消えることはなく、わずかに弱くなっただけだった。整形外科に行っても筋肉の炎症と軽く片づけられ、どうしていいのか分からなくなった。その時に、コーチの方にスポーツドクター(?)として有名な針治療院を紹介していただいた。最初の一回では効果はあまり分からなかったが、通い続けるうちに痛みが弱くなっていくのが実感できた。そして、痛みが引き始め、ようやく本格的にトレーニングを再開しようとした矢先の駒ケ根大会(6月)で、足首を強く捻挫してしまった。この捻挫も針治療によって僅かながら改善させることができた。
しかし、この二つの怪我が完治することはなく、本線はテーピングをして痛みと闘いながら走らざるを得なかった。怪我も実力のうち。どちらの怪我も兆候があったにも関わらず、深く気にかけていなかったため、大きくなってしまったところもある。今後、針治療を効果的に活用すると共に、ちょっとした体の変化にも対応していきたいと思う。
怪我と同じくらい苦しめられたのが、研究とオリエンを両立するライフスタイルの確立だった。まず、追い込んだトレーニングができること、食事のリズム・栄養バランスを整えることを大前提として生活することを決めた。それにより、学食は少し栄養のバラエティーに欠けているため、極力夕食は自分で作ることを目指した。
当初は、研究室から帰って食事をとり、トレーニングをしていた。しかし、これだと食事があまりに遅くなり、さらに、トレーニングも食後すぐに行うことになりあまり追い込むことができず、その割に疲労の蓄積がひどくなった。次に、朝トレーニングを行ってみたが、スピード系トレーニングなど高負荷なものは質が低い割に故障の危険性の高さを感じた。
その後、トレーニングと食事の順番を変えたり、時間を少しずつずらすなど試行錯誤を繰り返した。その結果、夕方研究室を一度抜け出してトレーニングをし、家で夕食を食べてから再度研究室に戻る、というスタイルに辿り着いた。これにより、夕方のまだ明るい時間帯にトレーニングができるため、読図付き・高負荷トレーニングが可能になり、食事面の目標もクリアできた。また、すべてを終えて帰宅するのは25時前後になり疲労は溜まったが、オリエンテーリングと研究の両立が可能となり、どっちつかずの時に比べてストレスをかなり軽減することができた。ただ、このスタイルを確立できたのが出発する3週間前になってからだった事だけが悔まれる。
ミドル・リレーを希望した。個人種目を一つに絞ったのは、より特化した練習を行うことで、少しでも速くなり、一つでも良い順位をとるため。また、リレーはみんなで団結して国の順位を決めるということから最も出場したい種目だった。しかし、肝心のリレーセレで終盤に大ミスをしてしまい、メンバー入りを逃してミドル1種目のみの出場となった。途中まで良い順位に付けていただけに、あの悔しさは忘れられないものとなった。
コーチの方々や京大の西村さんの情報から、エストニアのテラインはAでも見通しがあまり良くないということが分かっていた。JWOCの時は、植生のイメージ不足により現地に行ってから地図と現地のイメージが合わず苦労したので、情報をもとに地図からより正確な現地のイメージを心がけた。それにより、より一層直進精度の重要性を意識した。
まず、目標掲げていたのびしろの発見は予想外に早く、4月中に達成された。自分に足りていなかったものは、単純に「速く走ること」だった。それまではスピードを落とし頭に少し余裕を持たせた状態で競技をしていたので、よりスピードを上げて追い込んだ状態でも正確にナビゲーションができるようになることを目指した。
そして、その成長ぶりを確かめる意味も含めて、最後のユニバー合宿のリレーセレに臨んだ。先述のとおりメンバー落ちしたが、レース後の反省により、スピードを上げることを意識しすぎるあまり、手続きが雑になってしまっていたことが分かった。この改善は今後の課題である。
今思い返せばトレキャンで最初に入ったテレインがターニングポイントとなっていた気がする。前半はほぼ思い通りに回れていたのだが、後半に湿地にはまったところで集中力を切らしてしまい、ミスを連発してしまった。さらにミスをするごとに地図の細かいところまで読もうとしてしまい、イメージと完全に一致しないという悪い印象と、地図に対する不信感を抱いてしまった。このせいでコンパスなら信用できるという意識が強くなり、その後コンパスばかりに頼ったオリエンテーリングをしてしまった。さらに、コンパスばかり見るあまり、ルックアップも不十分になるという悪循環に陥ってしまった。これに気づけたのは、本戦が終わってしばらくしてからだったことが大きな失敗だった。次、海外でオリエンをするときは、mapperが日本と違うのは明らかだから、細かい地形までイメージが一致しなくて当然ぐらいに割り切る姿勢が必要だと感じた。また、さまざまなmapperの地図でオリエンテーリングをすることも有効だと思う。これは、自分がいつも愛知の最高の地図ばかりでオリエンテーリングをしていたことも原因の一つだろう。
終始思い通りにいかないレースだった。トレキャンの時の地図不信・コンパス頼り・ルックアップ不足はまだ続いてしまっていたと思う。でも、中盤9ポまでは日本人の中では良いタイムだったよう。9→10でエストニアに来てから初めて、頭と体がかみ合いリズムに乗れる走りをできた。途中コンパスを一度振らなかったためにひどいパラレルエラーをしてしまい、大きく順位を下げる結果となったが、あの時のリズムはけして忘れないようにしたい。また、僅か数分の間に何十人もの人がひしめいていることに強く衝撃を受けた。住んでる地域も、慣れたテレインも全く異なるはずなのに。
エストニアはヤブい。それは地図上でもわかるが、現地でより認識することとなった。地図上の緑が割と多いこともさることながら、それ以上にA藪のヤブさに圧倒された。自分の背丈ぐらいある草が生えているところがAで書かれていることには衝撃を受けた。おそらく日本と海外で藪の取り方が少し違うような気がする。日本では、見た目では藪だけど、走ってみると走行可能度が80%を下回らないものでもB藪となっていることがよくあるように思う。それに対して、エストニアでは走行可能度に忠実であった。さらに、可能度の基準が世界仕様であるためか、日本人では80%を下回るようなところでもA 藪表記となっていることもあった。
また、このような中で数100m直進が要求されることがあったが、かなり苦しかった。日本での合宿で直進練習はよくするが、いつも真っ白なところばかりであるように思う。何度かはB藪の中での直進練習のやっておくと効果的であるように思った。
ミドル・リレーテレインはのっぺりした矢板と勢子辻が融合したような印象だった。しかし、コンタがすごい少ない部分もあり、そこでのコンパスでの方向維持がかなり重要であった。大きく捉えていくといいことに変わりはないが、上記のように見通しが悪いために視界でとらえることは難しいので、やはりコンパスでの方向維持が重要になると思う。
草で覆われていることが多いため、ふかふかしていることが多い。もちろん、草がないとかなりはまってしまうが、基本的に湿地は走れるので、切ってよかった。むしろ、意図的に避けたり、辿ったりする方がむすかしいと思う。湿地の中に入ってから湿地であることに気づくことが多かったが、周りと微妙に生えている草が違うことが分かれば、少し遠くからでも判断することは可能。あと、湿地の中にある水系は危険。
インカレも今年で最後なので、今年いっぱいで競技はやめようと思っていた。でも、ミドルで住んでる地域も環境も違う人たちが、それに左右されることなく対等に戦えているのを見て、日本に住んでいても世界で勝負はできるんじゃないかと思うようになった。きっと、今までは「日本だから…」って自分に言い訳していたんだと思う。あの、数分の間に何十人もの人がひしめいている中に入ってみたいと思った。だから、卒業しても競技を続けようと思う。目指すは2年後のスウェーデンWUOC2010.
最後になりましたが、今回ユニバーに決まってから本当に多くの方々に支援していただきました。現地でメンバーのためにつくしてくださった尾上さん、エントリー等を取りまとめていただいた西脇さん、個人的に何度もご指導いただいた松澤さん、合宿等でサポートしてくださったコーチの方々、本当にありがとうございました。この分は後輩たちへと還元することで返していきたいと思います。