ユニバーシアードの存在を知ったのは2年生のはじめ頃であったと思う。その後、インカレでも入賞できるようになり「もしかしたら自分もいけるかも?」と思って臨んだ2年前の選考会は不通過であった。卒業後はオリエンテーリングを本格的にやるべきか迷っていたが、最後の春インカレで坂本さんや西尾さんにユニバーに誘っていただいたことや、関東へ住んでからNT選手や尾上さんらにユニバーの話を聞き、夏までにはユニバーを目標にオリエンテーリングをすることを決意した。
選考会までの1年間の目標は
だった。ロング大会や主要大会には積極的に参加した。またトレーニングは
行った。トレーニング時間はそこそこ確保できたが、社会人1年目ということで、ストレスや疲労が蓄積しがちであった。だが、関東の生活は新潟に居たころより遥かに移動は楽で遠征は苦にならなかった。しかし、年明けのユースキャンプで無理をしてチョウケイ靭帯炎を発症してしまい、1月~3月まで殆ど走れなかった。暖かくなってきたせいか症状が良くなったので、ダメ元で選考会に向けて走り出し、突貫工事で何とか選考会は通過できたという感じだ。
選考会通過後も、以前と同じようなトレーニングを行った。強化合宿で週末のオリエンテーリングの機会は増えた。選考会通過後の目標は
に切り替えた。これは1~3月の怪我の影響で走り込み量が足りず、これから準備してもロングには間に合わないと考えたからである。また、それまで苦手であったスプリント種目も近年は割といい結果も出ていたし、テレイン的な不利も無さそうなので、頑張った分結果を残せると考えたからである。
合宿やレースでは常にNT選手を意識した。出発までにはNT選手と同等の力をなんとしても手にいれたいと思っていたが、結局達成できず、この点不安な状態で出発を迎えてしまった。
私と雄哉さんは社会人ということも有り、1番遅れての合流となった。モデルイベントテレインには、3回しか入れなかった。うち1回は町中のスプリントで、尾上さんに即興でコースを組んでもらった。他、2回はフォレストタイプのテレインに入ったが、等高線間隔が本戦とは異なる2,5mであったり、道が発達していて道からのアタックばかりで難易度が低くなってしまったのが問題であったと思う。ただ本戦の結果からみると、モデルテレインにどれだけ入ったかはあまり影響が無かったと思う。これは、モデルテレインが本戦と大きく異なったためである。なるべく本戦と類似のテレインにレースと同じようにタイムを計ったりしっかりスピードを出して走ることが重要であると感じた。
直線距離3.2km、登距離70m、16:03、57位/74人、トップタイム13:29、トップ比119%
目標のトップ比110%以内には入ることが出来なかった。レースはスターとするといきなり会場を通過するという「見せる」要素の非常に強いものだった。日本でのスプリントレースの経験や前々日にスプリント練習をしていたこともあり、特に違和感無くレースをできた。後半、1分後のブルガリアの選手に追いつかれてしまい、しばらく並走したが、ついていけないことはなかったが、地図読みの速さやルートの正確性等は私よりもずっとすぐれていると感じた。特に、自力のスピードもそうだが、登りの後のスピードの維持や、藪への対処、方向維持等が非常に差を感じた。私自身のレースは可もなく不可もない、点数で言うなら70点くらいだ。大きなミスは無かったが、他選手のスタートダッシュや走りの力強さを見て、やはり地力のスピードが、巡航速度が圧倒的に足りないと感じた。次回ユニバーでスプリントを目指す人は走力では5000mを15分台は出せるように、技術面ではNT選手にも匹敵するくらいにした方がいいと思う。私自身の今回の遠征前のタイムは16:30であった。勝負になっていなかったといえばそれまでだが、ただ初めての海外での大会の割には特に日本と遜色無いレースができたと思う。これは、テレイン・コース共に日本と殆ど変らなかった為である。むしろコースやテレインによっては日本の方が難しいくらいだ。そのくらいスプリントなら地理的不利が働きにくい競技だと感じた。
直線距離6.2km、登距離80m、66分、84位/97人、トップタイム33分、トップ比200%
前日のロングは欠場したが、ロングに出場した選手達のコメントから、非常に厳しいレースになると予感していた。実際レースはその通りで、規定時間70分との戦いとなってしまった。全く勝負というかオリエンテーリングにすらなっていなかったと思う。特に、現在地ロストや逆正置等はここまでひどいのは1年生の時以来であった。まず、1つ目に対処が難しかったのは藪である。植生B/CはもちろんAであっても時に通行困難になったり、概して見通しが悪い。八ヶ岳に近いものもあったが、個人的には真っ直ぐ進めないという点では海岸テレインと似たような難しさがあった。2つ目は湿地である。これは日本とは異なり、オープンもしくはコケが生えている。この湿地にコントロールが置かれたり、CP/APになったりするので、これらが分かるようになっておけばよかった。レース後半、ようやくわかるようになった。特に、オープン湿地は明るいので遠くからでもわかりやすくなった。3つ目は等高線間隔である。モデルイベントと異なったのも要因であるが、地形表現が独特であった。特に補助コンタは、日本では段差の様に分かり易い地形を表しているが、エストニアでは非常になだらかな坂などで、止まってやっとわかるような微妙なものであった。また、私はもスコンを使用していたのだが、エストニアではタイプ3のように非常に止まりが悪く困った。以上の様な要因により「林の中を真直ぐ進む」というオリエンテーリングでは当たり前と言うか最も基本的な技術が使えず非常にストレスであった。
リレー競技(国別団体対抗戦)、第3走者(4人リレー)、20位/24チーム
コースタイム0:46:15、トップタイム0:36:10、トップ比127%
この日もレースはウムスタートとの戦いとなった。1走の雄哉さんですら最後までトップ集団についていくことはできなかった。自分の目標はすぐ前に出て行ったポルトガルに勝つこととウムを回避することとなった。私は3走であったがレースは丁度強豪国の4走のスタートと重なり、最初からスピードをあげてみた。強豪国は日本でいうところのスプリントの様なペースでレースをしていると感じた。レースはポルトガルの3走やラトビアの4走とビジュアル付近で競えてとてもエキサイティングだった。ミドルと同じテレインであり、また、1走の雄哉さんからポスト位置を詳細に聞いていたので、この日はミドルの様にオリエンテーリングにならないということはなかった。しかし3分ほどのミスをしてしまった。リレーでは分単位のミスはあってはならないだろう。何とかウムスタートは30秒前で回避することができたが、競い合っていたポルトガルは4走が途中棄権してしまったので残念であった。
今回の遠征では、自分自身にとって非常に有意義なものであった。特に世界の選手の走りやオリエンテーリングという行為自体が私にとってはまるで別の競技であるかのような衝撃を受けた。エストニアという独特のテレインであったせいか、私には「バスケットをしにいったら、ハンドボールをさせられた」ような衝撃であった。よく処々の事情によりユニバー以降オリエンテーリングから遠ざかってしまう選手も多いが、私自身には到底そんなことは考えられない。とてもこのままでは終われないほど、悔しさを味わった。今回の遠征をひとつの励みに、今後も走り続けようと思う。
また、今回の遠征では尾上さんに非常にお世話になった。長期に渡る海外遠征というだけではなく、WOCやJWOCも同時に見るというのはとても大変であったと思う。次回は、せめて日本に居る時だけでもいいから、ユニバー専属のコーチの様な人が居るとよいと思った。
最後になりましたが、今回の遠征では非常にたくさんの方々に応援・ご支援いただきました。この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。