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2010年度 日本学生オリエンテーリング選手権
ロングディス タンス競技大会 再競技
報 告書
2012年10月13日発行


目 次


1.挨拶
  会長挨拶
  幹事長挨拶
  実行委員長挨拶と将来への提言
  運営責任者挨拶

2.優勝者コメント
  男子選手権・小林遼
  女子選手権・高野美春

3.成績
  成績および ラップ解析
   (別 窓表示)

4.入賞者ルート図(工事中)
  男子選手権
  女子選手権

5.学生運営者コメント集



 実行委員長挨拶と将来への提言
実 行委員長 山川 克則




 この再競技報告書の発行が大きく遅れたこ と、 深くお詫び申し上げます。原因はひとえに私の業務管理がうまくできていないことによるものです。済みません。再競技という めったにない経験をしたのですから、ちゃんと記録を残しておこうと皆で話し合って、参画した学生役員にも文章を書いてもらいましたが、時宜を逸した掲載に なってしまいました。原稿を書いていただいた皆さんゴメンナサイ。でも学連やインカレの問題点を考えるにあたって、今も続いている内容だと思いそのまま掲 載しています。是非一度時間のある時にご一読下さい。

 再競技開催の決定に関する経緯に関しては、他の人の報告に詳しいので私からのアプローチの部分のみ、記録に残しておくことにします。

 まず私自身の正直な気持ちとして、選手に負けない位の悔しい気持ちがありました。他でも報告されていますように、あの厳しいテレインで何度も試走し、挫 け そうになりながらも皆でより良い地図、より良いコースという目標に向かって作り上げていった渾身のものです。大会直前になっても、ここ通れるぞというルー トが見つかったり、急斜面のヤブの中の特徴物の乗り換えなど、さらに表現を良くして大会を迎えました。暫定トップに立った田邉選手が目を見張るタイムで フィニッシュし、さあ後続の有力選手がどういう展開でフィニッシュするのかワクワクしながら待っているときに、寸止めが起こりました。

 学連は、前々から言われていますように学生主体の自治組織、経験は浅いとはいえ全ての決定権は加盟員である現役学生にあります。この事態になっても決定 は 学生自身の手で行え、それがまず大原則でした。実は一部有力OBの間では、再競技開催は反対派の方が多かった位だと思います。自分の影響力の大きさは自覚 しているつもりでしたが、山川はこうしたがっているという表現は自分の中で禁忌とし、今の自分の資源としてこういうことならできるという資料を呈示するや り方で臨みました。開催しないならしないで、ひとつインカレの記録が欠落することによる多くの不都合がその先に生じます。そのことに対する多くの話し合い も必要になってくるので、それも見据えて議論しろ、とアドバイスはしていました。まず私が絡まない限り、他の大会に乗っかるにしても、現実化できないこと は目に見えていましたから(学生間の議論では、一応検討されたみたいです)。


1. 再競技を行うとしたら、今から他 の大会への相乗りは事実上困難、例年2月に行っている学連合宿+山リハリレーのうち、学連合宿をつぶせば日程は確保でき る。

2. 30年間の実績により、日光にも 自分の知り合いが多く出来ている。大会設計上のキモになる部分(会場/ファミテック,選手待機所/和泉公民館)は、電話一 本、ホットラインで確保できる。

3. ロングということでテレインの広 さが問題となるが、日光ロング2007の時に地元行政当局から使用を止められた(このおかげで2007ロングは、会場を変 え、マジックショーみたいな踏切横断レイアウトになった。)エリアが、地元問題は収束しこのレースでは通過できそうだ。「日光和泉」と「日光例幣使街道」 を両方使えば可能。新たな調査(両テレインを接続する空白部分)は、GPS測定入れても、新規調査は5日間位で完遂できそう。
(解説:日光市合併に伴う大型ゴミ処理場新設の問題で (すでに完成 して稼働中)この地区は2007当時、大反対運動を繰り広げていて、役所から周辺の森には近づくなという指導を受けて、2007インカレで、予定会場の キャンプ場(閉鎖)を断念し、空白区域を生じることになった。今でもキャンプ場と廃止したレース場付近は近接禁止、大会使用地図で黒縦ハッチをかけた部分 に新たに誘導道路を新設されるそうです。2012年度の日光市の予算書に書いてありました)。

 これだけの材料を提供して学生の議論に委ねました。結局、私の呈示のまま大会は実現したわけですが、後述のようにこの関わりによって、学連やインカレが 持 つより大きな問題を、より多くの人が目の当たりにする、そのことを狙った部分は正直ありました。無理は承知の部分も多かったですが、学生役員の方も準備期 間が少ない分、夜を徹する働きでカバーしていただきました。
 特にこの実行委員会では、現役学生主体の運営ということで、いつもの実行委員会なら、実行委員 長が統率するようなことまで、学生役員である運営責任者の宮崎君に活躍いただきました。大会当日の私の役割は、送迎バスの添乗員、ロングならではの役員移 動の運転手、そんな役どころで宮崎君中心にうまく学生役員が回っていたと思います。
 また、準備期間が圧倒的に短い分、地元への周知依頼文の送付も直前になってしまったのですが、それでも大会前日に改めて挨拶に行くと、すでに回覧板は回 り 終えていて、大会のことはよくご存知でした。長年の関係を作ってきたことに大きな有難みを実感するシーンでした。

会計報告
 当初、幹事長の斎藤君とは新たに追加で参加費を徴収して事業を行う以上は(学連に関係する有償業者の会計の明朗性を特に求められている時期であったの で)、本事業においては、学連の本会計からの資金援助は一切ない(独立採算制)、また報告は詳細に行うという相談をしていました。会計2人制(佐藤・井 戸)の敷いたのですが、大会後うち1人の処理がグダグダになっていまい、結局学連本会計に手をつっこまず、最初の相談どおり残金を報酬としていただくとい う形で収斂させていただきました(ゼロ会計処理です)。総参加費収入:\591,000円に対し、最終的な残金\162,436を有償の報酬分として頂き ました。(調査・渉外など現場実働分で13日間、メールやプログラム執筆など机上作業分は算入していません。)また、山川の使った経費額は \265,700、残りが学生役員の使用経費額です(この部分の詳細がグダグダになった)。
 ちなみに担当者間のみの開示で、学連の公式文書に載せることは今まで無かったのですが、秋のインカレロングで、一般大会にコラボして依頼する形式の場合 の 会計形態は二種類あって、1.全お任せ・独立会計(例:2006年度駒ヶ根ロング、2011年松本ロング、本再競技もこの範疇)、2.学連担当領域分に対 し学生参加費収入の半額で独立会計、とどちらも学連の本会計からの持ち出しはないことになっています。そのかわり利益を学連本会計に戻すことも無いのです が、今回の奈良ロングは2.の形式で(2012年度神奈川ロングもこれです)、ロング本番も他のスタッフの熱意に押されて、一次調査が殆どできていなかっ たエリアのリファインから始まり、制約の多いテレインで、試走の結果を受けていかに良いレースを演出するかに最後の最後まで心血を注いだ結果、結果とし て、独立ゼロ会計にすることから起算して日当計算で@\13,000台にまで落ち込んでしまいました。(要するにやり過ぎだった、ということでした。)
 経営的に大きな痛手というまでにはなっていないもの、まあ本競技も再競技も大分“お安く”やったことに結果としてなりました。(同時に山リハもありまし た ので、心配は要らないですが)。

“山川の終わり”の始まり
 参考文献:それこそ学連と山川の30年以上の関係の歴史から文献を漁ればいくらでも関係資料は出てきますが、近いものからでも、
  無 理が利かなくなって予定さ れ ていた2012駒ヶ根大会の中止
  2010 奈良ロング報告書(野澤実行委員長提言16ページ辺り)
 そして先日(2012年10月6日)の学連幹事会においては、26年度春インカレからの長期休業宣言(現場調査部分)をして参りました。上記駒ヶ根大会 中 止webにも書きましたが、ここのところ無理を重ねたカラダがもうどうにも持たないところまできているようです。私の持病で、このまま無理をし続けること は、統計上は早期の永遠のお別れに行き着きます(そもそも30年前の医学ではとっくに死んでいる病です)。長期休業中は、少しでも(愛する家族の為にも) 長生き出来るように、最新医学の施術に賭けるつもりをしています。可能なら復活して、またカラダもアタマも動かす生活に戻りたいと思いますが、いつ復活す るかは未定ですし、現場復活は叶わないかもしれません。生きていれば口、いやアイデアは出せるでしょうが・・・・。
 この再競技を引き受けた時にインカレが開催できるまでの真の現状を現役学生にも直接見てもらえる機会になればいいなと思っていました。こういった依存体 制 もいつかは終わらないといけない、そのことは学連やインカレと山川との密着した関係が10年位経った時から言われ始めましたが、まだ現実の切実な問題とし ての認識は、30年以上の関係を続けた今からみれば、結果としてそこまでの問題意識はなかったということでしょう。今年になって新たに将来に渡ってこの国 のO-MAPを作成していってくれそうな人材も出てきてくれたことにより、本当に自分のオリエンテーリング人生のending作業に取り掛かろうとこれか らは思います。日光に自分の資料館を建てる構想もあります。調査・小合宿の基地としても一般に活用頂く予定です。
 この大会の学生役員の報告部分を読むと、その“山川の終わり”の始まりが端々に読み取れる、そういう大きな資料になっていると思います。この意味でも、 こ の再競技を学生の運営主体で無理してでも行ったことは意義あるものだったと、今では思っています。

(2012年10月12日執筆)